第19回 ヴァイキング・北欧諸国とイングランド

○今回の年表

9世紀 (イングランド) ウェセックス王エグバードがイングランドを統一。
862年 ロシア) ノヴゴロド国が建国される。
882年 (ロシア) キエフ公国が建国される。
900年 (ノルウェー) ハーラル1世がノルウェーを建国。
918年 (朝鮮)高麗が建国される。
955年 (ノルウェー) オーラブ1世、キリスト教を受容。
960年 (中国) 趙匡胤が、「宋」を建国。
962年 (インド) ガズナ朝が建国される。
962年 (ドイツ) 東フランク王国でオットー1世が即位。俗に言う神聖ローマ帝国が誕生。
1000年頃 一部のヴァイキングがアメリカ大陸に到達。
1014年 ビザンツ帝国のパシレイオス2世、ブルガリア帝国を併合。
1016年 (イングランド) デンマーク王国、イングランドに侵攻。
1055年 (イラク) セルジューク朝がバクダードに侵攻、スルタンを称す。
1066年 (イングランド) ノルマンディー公ウイリアムズがイングランドに侵攻し、ノルマン朝を開く。
1115年 (中国)女真人が「金」を建国。華北に侵攻し、これを支配。宋は南遷。
1130年 (イタリア) 両シチリア王国が建国。
1192年 (日本)源頼朝が鎌倉幕府を開く。

○第2次ゲルマン民族移動


 9世紀から10世紀にかけて、再びゲルマン民族による移動がおこります。今度移動してきたのは、ヨーロッパ北部のノルウェー、スウェーデン地域に住んでいた、ノルマン人またはヴァイキングと呼ばれるゲルマン民族の一派です。
(ヴァイキング=入り江の民の意。語源には異説あり)

 こうした人々は、人口が増加する中、北欧諸国で起こった、統一国家建国に失敗した首長達に率いられ、海賊のごとく西フランク王国沿岸を中心に荒らし回ったり、交易に従事したり、建国したりと色々とヨーロッパを駆け回ります。

○ノルウェー建国

 ここで北欧地域の歴史も簡単に記すと、まずノルウェーでは1万4000年前から人が住むようになり、その後ゲルマン民族がやってきたのではないかと考えられています。8世紀には29の小国に別れていましたが、この小国の王達が海外への探検、略奪、商売に乗り出します。

 900年には、ハーラル1世がノルウェーを統一。しかし、彼の死後は再び分裂。隣国スウェーデン、デンマークがこれを狙う中、955年に最も強い勢力だったオーラブ1世がキリスト教を導入、これを積極的に布教します。そして、彼の息子オーラブ2世がノルウェーを再統一しました。

 しかし、彼の死後は再び分裂状態になり、次第にスウェーデン、デンマークによって支配されるようになりました。独立したのは1905年。なんと20世紀になってからです。

○スウェーデン建国

 一方のスウェーデン。こちらは10世紀までの歴史はあまり解っていません。やはり、小国のゲルマン諸族が争う状態が続いた後、各地に植民活動が行われます。

 9世紀前半に、フランク王国からキリスト教が伝えられ、その後ノルウェーを支配するようになり、以後、デンマークと支配権を巡り争います。また、フィンランド地域まで国家を拡大しました。

○デンマーク建国

 デンマークの場合、5〜6世紀にスカンディナヴィア半島南部からの移民によって形成されたようです。その歴史はよく解っていませんが、8世紀頃には各種インフラが整備されていたことから、中央集権の強い国家が存在していたようです。

 10世紀、ハーラル青歯王は王国をキリスト教化しはじめます。そして、1013〜14年にかけてハーラル王の息子スベン1世、そして息子のクヌート(位1016〜35年)イングランドを征服。イングランド側からは、デーン人と呼ばれます。しかし、この支配は3代で終わります。なお、ハーラルの一族によるデンマーク支配は1448年まで続きます(その後は、最後の王・クリストファ・ア・バイエルンの妻、ドローテルの再婚相手クリスチャン1世の一族が今も王として存在)。



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