
スラブ人やマジャール人といった民族が東ローマ(ビサンツ)帝国を圧迫していたことは前述しましたが、ここにもう一つ、
ブルガール(ブルガリア)いう民族も歴史の表舞台に登場します。ブルガリアヨーグルトで有名なように、乳製品を中心とする生活をおくる遊牧民です。
681年、トルコ系のブルガール人は、ビサンツ帝国が支配していた現在の
ブルガリア(ローマ帝国時代は、トラキア等と呼ばれた地域)に侵入し、
第1次ブルガリア帝国を建国します。
そして彼らは、スラブ人と同化していきます。これがブルガリア人です。彼らは領土を拡大すると、ビサンツ帝国と争い始めます。その勢いは、なんと811年に自らブルガリアに攻め込んできたビサンツ皇帝
ニケフォロス1世(
位802〜811年)を敗死させると、コンスタンティノープルにまで侵攻します。が、これはやはり城壁に阻まれ失敗します。
その後、ビサンツ帝国はイスラム勢力の衰退と共に再復興を果たし、ブルガリア帝国はビサンツ帝国と和議を結びます。864年のブルガリアの
ポリス1世(
位852〜889年)はビサンツのキリスト教である、東方正教会(ギリシア正教)を受容します。
ところがその第3子
シメオン1世(
位893〜927年)はビサンツと断交。外征の連続で国土をエーゲ海、アドリア海にまで広げ大帝国を作ります。そのため、コンスタンティノープル宗主教から「皇帝」の冠をもらいます。彼は、さらに「
ブルガリア人とローマ人の皇帝」と名乗り、ブルガリア教会を東方正教会から独立させます。
しかし、華々しい戦果の裏で、国力が疲弊していたのでしょう。彼の死後は内紛と経済の破綻で衰退し、ビサンツに従属します。そして巻き返しを図ろうとしたところ、1014年にビサンツ皇帝
バシレイオス2世(
位976〜1025年)により併合されてしまい、滅亡しました。
さらに12世紀には独立を果たしますが(
第2次ブルガリア帝国)、東から侵攻してきたモンゴル軍や近くにいたセルビアといった国に圧迫され、さらに1393年にオスマン朝によって征服されてしまいました。
ビサンツ帝国は、前述のバシレイオス2世の辺りで、再び繁栄を享受します。理由はビサンツ軍の戦術がうまくいったことと、イスラム教の中での内紛があります。そして、一時はイスラム勢力に奪われてしまった小アジア地域も奪い返し、ユスティニアヌス2世以来最大の領土となります。
この時期に古典の研究や百科事典の編纂など、学術・芸術は大いに発展。数学・天文学にも研究の手をつけます。ところが、イスラム世界の技術・文化には目を向けず、さらにまたまた暗愚な皇帝が登場し、軍隊も役に立たなくなります。
さらに1054年、ついに
ローマ教会と決裂し、別々の道を歩み交渉を絶ってしまいます。
その上、
セルジューク朝トルコ(
1038〜1194年)がビサンツの小アジア領土を奪ってしまい、領土は大きく減少します。そのため、
アレクシオス1世(
位1081〜1118年)は、分裂したとはいえ同じキリスト教であるローマ教皇に対し援軍を要請することにします。それが、十字軍です。この話については、また今度。
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