
既に、レールを使って物を運ぶというのは、古代ギリシャ人も神殿周辺の道に溝を掘って、そこに荷車の車輪を載せて動かしたり。18世紀には鉄道馬車というのも登場していました。すなわち、馬に車両を引かせる、という物。さらにレールも初期は木製でしたが、次第に鉄製に変わります。 最初に鉄製のレールを造られたのは1767年のことで、イギリスのレーノルズという鋳物工場経営者によるもの。 そして1804年。 イギリスのリチャード・トレビシックが蒸気で動く機関車、蒸気機関車(SL=エスエル Steam Locomotive)の開発に成功します。さらに1825年、ジョージ・スティーブンソンらによる「ロコモーション号」によって蒸気機関車のメカニズムが完成され、ストックトン〜ダーリントン間で世界初の鉄道輸送を開始します。 1830年9月15日には、産業革命の中心であったリヴァプールとマンチェスターの間に列車が運行されるようになり、多数の人と貨物を輸送することが可能になります(代わりに運河は縮小しちゃいます)。また、スティーブンソンはこれ以後、数多くの鉄道建設を手がけます。 ちなみに、開業日にさっそく人身事故が発生。 パークサイド駅において、地元選出の議員でウェリントン内閣で閣僚を務め、その後仲違いで辞任したハスキソン氏が、そのウェリントン首相に儀礼的に挨拶(あいさつ)にでかけたんですね。ところが、車内で挨拶をすればいい物を、わざわざ線路側に出て挨拶しよう・・・としたところ、反対側からも蒸気機関車がやってきて、挟まれて(はねられて)死亡したということです。 スピードも速くないし、さっさと逃げればいいじゃないかと思うのですが、如何せん「最初」ですから、反対側から蒸気機関車がやってきて、まさかこんな事態になるとは思わなかったのでしょう。運転する方も、急停車・・・なんて気が回らなかったんだと思います。 そんな災難もありましたが、ヨーロッパ各国・・・さらには日本などでも急速に鉄道網が整備されていきますが、各国それぞれが独自技術で蒸気機関車を開発したり、または各国それぞれの良いところ取りで新型を開発したり・・・と様々な技術が競い合うことになるのです。 なお、日本で鉄道(蒸気機関車)が走るようになったのは、1872(明治5)年のことで、イギリスから直輸入(新橋〜横浜)。また、メイド・インジャパン・国産1号の蒸気機関車は、あのリチャード・トレビシックの孫(リチャード・フランシス・トレビシック)の技術指導による物で、官鉄神戸工場にて完成しています。
自動車は、蒸気機関が出来てから色々な人が研究してきたのですが、曲がりなりにも形になったのは、1770年に、フランスの技術者ニコラ・ジョゼフ・キュニョーが考案した蒸気自動車。大きな三輪車(笑)で、これは大砲を運ぶために開発しました。また、先ほどのワットも1781年に蒸気自動車も発明しています。 初めて人を乗せられる自動車が出来たのは1801年。 イギリスの発明家リチャード・トレビシックによって誕生し・・・そう、なんと蒸気機関車と同じ人物が作製し、街中でのテスト走行に成功します。そして、1830年のイギリスでは乗合バスまで運転されるようになるんですね。ところが翌年、車は道路から出て行けと規制されてしまい、自動車は以前から研究が盛んだったアメリカ、フランス、ドイツなどで発達していきます。 ただ、蒸気機関は自動車から早々に撤退することに。 まず、これは実質的にオートバイですが、1885年=日本では明治18年、ドイツ人のゴットリープ・ダイムラーが大きくて使いづらい蒸気に代わって、小型のガソリンエンジンを実用化した物をガソリン・エンジンを動力とした乗り物を誕生させます。 これを同じ年、自動車分野に使用することに成功したのがドイツ人のカール・ベンツです。彼は三輪車にガソリンエンジンを搭載させることに成功するんですね(この2人は、自動車の父と言われます)。そしてアメリカでは19世紀末、馬車の後の部分が独立したような形の自動車が誕生。これは、「馬なし馬車」と言われ、ガスで動く代物でした。 さらに20世紀にはいると直ぐに、車としての形を整えます。イギリスでは、ロールスロイスが有名ですね。 で、アメリカのフォードが大量生産に成功し、庶民に普及・・・ここらは戦後アメリカ史第4回をお読みください。
さて、こうした機械が発達しますと、原料を取りに行ったり、機械を動かす「人」が必要になります。 そこで目を付けられたのが、農地を失った農民たちです。彼らを安価な労働者として雇い、ガンガン働かせる。子供も容赦せず働かせ、資本家が大儲けする一方で、悲惨な労働者の生活がスタートすることになりました。 何と言っても、今と違って突然「明日から来なくていい」と、クビを切られるような緊迫した環境。 さらに、田舎から職を求めて都市にやってきたはいいが、急激な人口増に住居の建設が追いつておらず、そもそもお金もなく、住む場所が見つからない。当然、野宿。ところが、周りは石炭を燃やす煙の臭いが充満され、さらにまだこの頃は、水洗トイレなんて無くて、ひどい場合には中世以来の慣習で、窓から排泄物の入った壺(つぼ)をバシャっと投下・・・。恐るべき環境です。 あ、余談ですが1800年ぐらいになると、ロンドンやパリでは下水道の整備が始まり、人々は勝手に水洗トイレを設置を開始。 一方、上水道と下水道があまり明確に区別されていなかったようで・・・どうなるか解りますよね、うへえっ。日本の場合は、くみ取り式のトイレがあって、たまった排泄物を農家が買って肥料に使う、という循環型社会が形成されていましたが・・・。 そんな中、人々がアルコールを飲んで鬱憤(うっぷん)を晴らそうとするのは当然の摂理か。 この頃、オランダから製法が伝えられたアルコール度40〜50度の「ジン」というお酒が大ヒットします。なにしろ「1ペニーで酔える、2ペニーで泥酔する」という安い商品で、しかも床屋でも買えてしまうと言う・・・。酔えるだけではなく、気軽に飲めることもヒットの要因です。水だって、今の日本と違って蛇口をひねれば・・・ってわけじゃないですからね。 1735年のデータでは1人あたり1日4〜5リットルも飲んだそうです。この中には、子供も交じっております。そう、子供も容赦なく働かされ、「ジン」を飲み、アルコール依存症に陥っていくんですね。ちなみに、この翌年には政府でジン法が成立し、酒税アップ!これは良いことなのか悪いことなのか・・・。 また、1810年にはラダイド運動というのが起こり、紡績機械の打ち壊しが行われますが軍隊で鎮圧されます。 そのような中で、経営者の中にも「労働者の待遇を改善しないといけない」と考える人がでました。 その代表が、ロバート・オーウェン(1771〜1858年)です。彼は、商店の奉公人から綿織物の工場経営で一大財産を築いた、まさにサクセスストーリーの人物ですが、一方で自分の工場では労働は1日10時間までとする(・・・でも長い)、労働者のアパートを清潔に、世界初の幼稚園の設置で親も安心して仕事を出来るように。 さらに政府に対しても労働者の使用条件を定めた工場法(1802年制定)を、もっと労働者のために改善するように働きかけ、工場監督官制度の不備があるものの、1819年に改正させました(のち、1833年にシャフツベリーらの運動で、ようやく9歳未満の労働禁止、18歳未満の深夜労働の禁止、工場監督官は政府が派遣する、などが盛り込まれ、以後は充実していく)。 しかし、なかなか全体としては改善の兆しはなく、1837〜49年にはチャーチスト運動(普通選挙権を要求したストライキ)が起こるなど、労働者による不満はたまる一方となりました。 ともあれ、こんな劣悪な環境下で、イギリスは世界の覇権を確立。 しかし、イギリスのリードを許しているわけにはいかない。 フランスやベルギーでも18世紀末より機械化、工業化を推し進めて産業革命が到来し、さらに江戸幕府による支配が終わった日本でも殖産興業の掛け声の下、産業革命が起こることになります。 また、本格的に「社会主義」という思想が誕生していくことにもなるのです。 さあ、一気に産業革命の流れを見ていきましたが、前述のようにこの間にアメリカ独立戦争、さらにはフランス革命なんかも起こっております。次回からは、いよいよ激動の近現代史を本格的に見ていきましょう! 次のページ(アメリカ独立戦争)へ 前のページ(ロックとかルソーとか、結局何を言った人?)へ |