考古学レポート5 縄文草創期A住居の話

担当:大黒屋介左衛門

1.そもそもどんなとこで寝泊りしたの?

 前回の縄文草創期の土器に続き、今回は住居についてみていきます。
 草創期の居住形態として考えられるのは次のとおりです。
 @テント状のもの
 A洞窟、岩陰
 Bある程度の構造をともなった住居  草創期というのは後の縄文文化の基礎となるものがあらかた出てくる時期ではありますが、それはこの時期の人々が変わり行く自然環境の中で生き延び、繁栄していくのにどうすればよいのか?さまざまな試行錯誤が繰り返された証拠といえます。ですんで、いきなりある程度の定型化がなされた竪穴式住居が登場するなんてそんなことはあるわけないです。大体今までつづいてきた生活スタイルを覆すにはそれなりの理由があるのは想像に難くありません。ではなぜ、居住形態を変えねばならなくなったか? 考えてみましょう。

2.今ここにいる「理由」

 土器の登場に至った理由、それは前回お話しましたね。
 自然環境の変化が既存のスタイルでの食糧獲得を不可能にし、新たな食糧資源獲得の道具として土器が登場するに至った。要約するとそんな感じです。

 では、土器の登場がもたらしたものはというと・・、
 @植物の食糧化
 A新たな食材加工法
 などなど、ですがとんでもない落とし穴もありました。それは道具が増えたことです。

 何言ってんのって思うでしょうけど、これは大変な問題なんです。皆さんお引越しの経験がある方、結構いらっしゃると思います。ここで引越しになれてる方と、そうでない方、その違いは家財道具の数の差です。ま〜ほかにも道具の処分の決断力とか、根本的に片付けのうまい人とかいろいろあるんですけど(余談ですが私某大手運送会社で長いことバイトしてました)引越しの際の家財道具というのは少ない方が圧倒的に楽なんです。

 獲物を追って頻繁に移動を繰り返していたと考えられる当時の人にとってこれは由々しき問題だったことでしょう。また土器の登場により新たな食糧資源の開拓にも成功していたこともあり移動の重要性も低下していた当時の人々は一箇所への「定住」を志向したとしても不思議はないかと思われます。とはいえ、ここで「定住」を論ずるのは早計ですんでご理解いただきたいところです。

 またあらためて論ずることもあるでしょうが「定住」について詳しくお知りになりたい方は西田正規さんの『定住革命』という本をお勧めします(確か絶版なので図書館で)。この本は専門的ですんで、ちょっと・・という方はNHK出版の『日本人はるかな旅』シリーズなんかがいいでしょうか?

3.『我が家』いろいろ

 テント状遺構というのは確認がほぼ不可能です。発掘作業の前段階の整地作業で当時の生活面は削られていることが多い上に、地表に残される痕跡が極めて少ないからです。ですんで、焼け土、地床炉としてしか残りません、そういった痕跡すらその上にテントがあったかどうかなど推測の域は出るはずがないです。おそらくそうであったろうが定かではない程度ですね。

 次に岩陰、洞窟ですが、これは数多くないです。 ですが、決してなかったということではなくむしろ遺跡としては結構良好な状態で発見されることが多いのでこの時期を知るうえでは重要な遺跡といえます。実際草創期の著名な遺跡にはこの洞穴岩陰遺跡があります。前回紹介した泉福寺洞穴遺跡がその例です。

 しかしながら絶対数が少ないのも事実でして、その理由は食糧環境などが良好な場所に都合よく洞穴、岩陰があるとは限らないこと、居住環境として湿気や温度などの問題で決して住みやすいものではないことなどがあります。環境さえよければ旧石器から草創期さらにはその後も人の生活した痕跡を残すことはあり、人類の初期の生活の場のひとつであることは間違いありません。

 そして登場するのが竪穴式住居です。日本史上初の構造を持った建造物というのは大げさかもしれませんが、地面を掘り込んで床とし、柱を立てて梁と垂木をめぐらしその上を草葺(さらに土葺の可能性もあるが発掘で証明するのは困難)することで後世の我々にもその痕跡を追うことのできる住居が草創期に入って初めて登場します。

 出現期の竪穴式住居は現在公園として整備されている前期以降のものの様に立派なものではありません(当然ですけどね)。どこがどうというとまず柱穴が浅く細いこと、したがって柱そのものも細く住居の構造自体大変華奢だったとおもわれます。大黒柱がこうですからその上に載ってる上部構造もたいしたものでなかったでしょう。

 次に床面の踏み締めが甘いこと、前期以降の竪穴式住居の床面は極めて硬く踏みしめられてます、そうたとえるなら冷凍庫でぎんぎんに硬く冷凍したチョコレートみたいに。実際の発掘現場では土の色とあいまってホントにチョコレートみたいです、移植ゴテ(発掘で使う道具)で削るとチップ状になるので女性なんかはよくわかるのではないでしょうか?

 っと話はそれましたが、以上の二点から当時の竪穴式住居はとても通年使用に耐えるものではありません。ここからも定住はまだ先の話ってことがわかるんですね。

4.竪穴式住居を定義する


 ここで竪穴式住居の研究史をちょっと振り返って見ます。
 「竪穴式住居」という言葉は日本考古学の初期の学術用語の中では珍しく翻訳語ではなく、日本人学者が創り出した純粋な和語です。そして現在に至ってもその用語に対する異称がなく、適当な語であるといえます。  明治の萌芽期の日本考古学では、当初貝塚や古墳など目に付きやすい遺跡に興味が限定され、これといった実態解明がされていないにもかかわらず国学者などの説く穴居説が信じられてきました。

 この穴居説には竪穴だけでなく、横穴も加えたもので議論が応酬されます。そんな中で明治中期以降になりますとこんな住居形態の知見も踏まえて、学史上では有名な日本人種論争が巻き起こります。当時の著名な学者である坪井正五郎はアイヌ民族が竪穴住居に住まわないとして日本人の祖先にアイヌ伝承にある『コロボックル』をあてます。これに白井光太郎鳥居龍蔵といった学者がアイヌも竪穴に住まうとする例を挙げて反論。議論沸騰していきますが次第に発掘事例が蓄積されていくと、まず横穴が墓であることがわかり脱落。そのうちこうした議論自体が光彩を失い廃れていきます。

 『コロボックル説』にいたっては提唱者の坪井正五郎の死後は誰も見向きもしなくなりました。
 で、大正以降は発掘事例がどんどん増え、さらに戦後、開発が進むとそのスピードは驚異的な速さで増えていったのでした。そのような流れで竪穴が住居として認識されるようになったのです。
 竪穴式住居の定義といたしましては床が地下にあることから半地下式、上屋の建材からすれば木造家屋と分類できるでしょう。上屋構造の分析を前面に置く考えもありますが、その遺存例は極めて少なく通例としては地下部分に限ることとなります。ここで三人の学者の定義をあげておきます。

・関野克「床が地下にあるものを竪穴住居、地上直にあるものを平地住居、地上若干離れて位置するものを高床住居」
・後藤守一「地面に一定面積を画してこれを若干の深さに掘り下げ、その底面を床となしその上に上屋を構築してそこに起臥して生活を営んでいた」
・小林行雄「地面を一定の形に若干掘り凹めて、垂直に近い壁と土間の床を作り、その上に屋根を架した家屋で、その規模や形状には時代によっては差異がある」
 上の3つの定義のうちはじめの二つは戦前のものです。
 それらを踏まえて提唱された、最後の小林さんの説は現在の状況にあててもさほど違和感はないでしょう。この人は大変精力的に活動された学者さんでこの後も何度も名前が登場します。

5.遺跡解題のようなもの

 実際に遺跡を例に草創期の住居の概観を述べてみようと思います。

 遺跡名は大鹿窪遺跡、所在地は静岡県富士郡芝川町。
『発掘された日本列島2003』展で紹介されていた遺跡です。二万点以上に及ぶ石器や土器、そして十数件の住居跡が検出されています。土器は草創期を中心としており隆線文土器、爪形文土器、押圧縄文土器など。石器は尖頭器、石鏃、石皿、磨石など。住居址は遺跡第一地点から、この地点からは押圧縄文土器、石器も出ています。

 中央に配石遺構があり、これを中心に広場にするような形で住居が半円形に点在して、その背後には埋没谷がある格好。住居は不整円形で、いくつか重複してます。竪穴のそとに柱穴と思われる穴があり、竪穴ををとりかこむように並んでいます。何度か柱を架け替えたのか放射状に柱穴があります。住居の中には炉址とおもわれる痕跡をもつものもあるようです。ほぼ全ての住居から石皿と磨石が検出されています。
 紹介はしましたがこの遺跡の竪穴式住居が草創期の竪穴式住居の典型というわけではありません。そもそも竪穴式住居は時期差、地域差が顕著ですんで典型例を挙げるのは困難なんです。さらに草創期の竪穴式住居は最近見つかり始めたばかりなので、類例も少なくまだ論説を述べるのは時期尚早です。日本最古の竪穴式住居というのもマスコミうけはしても考古学上では意味はないでしょう。

 重要なのは
 何が竪穴式住居の登場を促したか?
 何を期して作られたのか?
 何を祖形としたのか?
 だと思います。私個人の意見ですけどね。
 それでは今回はこの辺で
参考文献
縄文文化の研究8 加藤晋平、小林達雄、藤本強編 雄山閣出版 1982.5
最新日本考古学用語事典 大塚初重、戸沢充則編 柏書房 1996.6
発掘された日本列島2003 文化庁 朝日新聞社 2003.6
日本の歴史01改訂版 岡村道雄 講談社 2002.11
日本人はるかな旅1 NHKスペシャル「日本人」プロジェクト編 NHK出版 2000
日本人はるかな旅2 NHKスペシャル「日本人」プロジェクト編 NHK出版 2000

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