ハワイの歴史

○はじめに

 タイトル通り、今回はハワイの歴史です。おかげさまで公開以来、この原稿はかなりの評判を呼び、メール等で面白かったです、ためになりました、と頂いております。あまり他のサイトなどでは取り扱ってない部分だと自負しておりますので、是非、お楽しみ下さい。そして、ハワイ=観光というイメージばかりでなく、きちんと歴史的なこともふまえて、海外旅行に行ってらっしゃいませ。

1.ハワイの地理

 よくハワイに行く、と言う人がいますが、たいていの場合、ハワイ島ではなくオアフ島に行っているというのをご存じでしょうか。そこで、まず最初はハワイとは何ぞや?ということなのですが、ハワイ州はアメリカ合衆国50番目の州であり、大きさ順にハワイ島、マウイ島、オアフ島、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島、ニーハウ島、カホーラウェ島の8島から成立しています。州都は、オアフ島のホノルルにあります。ですから、正確には「ハワイ州に行く、か、オアフ島に行く」と言うべきかもしれませんね。いずれにせよ、ここでは全てまとめてハワイと書いてしまいましょう。

 ちなみに、ハワイ島はどんなところかというと、位置はハワイ諸島の東南端。面積は1万443平方キロメートル、人口約12万人。火山活動によってできた島で、休火山のマウアケア山(標高4205メートル)など、山がそびえ立っています。また、現在も噴火を続けている火山もあります。 無論、ここもリゾート地としても有名であり、その他マウアケア天文台もあります。
 
 これに対し、俗にハワイといわれるオアフ島は、面積は1555平方キロメートル。人口は諸島最大の約84万人。州都ホノルルがあり、ワイキキなどの浜辺を活用した人口リゾート地・商業地として有名なほか、ホノルルの約10キロ西にパールハーバー海軍基地が立地し、アメリカ合衆国の太平洋における重要な基地となっています。日本が真珠湾奇襲攻撃を行ったのもここで、戦艦アリゾナ号(日本の奇襲でやられた軍艦、今はその上に慰霊碑が建つ)が保存され、多くの人が訪れます。

 また、ハワイの気候は、夏と冬の気温の差があまりないことが特色。年平均気温は24℃です(ただし、場所や高度によって気温が違うので注意)。降水量は基本的に、東側が降雨が多く、西側が少ないと言った状況です。これは貿易風が関係しています。

 ハワイの植物は、2500種以上の固有種と、多くの外来種が存在。特に興味深いのは、主にマウレ島のハレアカラ国立公園で観察できるギンケンソウというやつで、ハワイの火山灰地域のみ生息。多年草だが、一度だけ花を咲かせるとかれてしまうのです。

 動物は、シロコウモリ(ほ乳類)・ハワイアングース(鳥類・絶滅危機)・エンゼルフィッシュ(魚類)などの固有種が存在しています。このように、植物や動物の宝庫でもあるんです。さて、本題に入りましょう。

2.ハワイ古代史

 ハワイの最初の住民はポリネシアという民族です。このポリネシアという人々は文字を持たなかったため、ハワイの昔の歴史を知ることは困難ですが、口頭伝承が多く残っており、また歴史家の研究により、ある程度のことは解っています。それによると、紀元前700年頃にハワイに彼らが住み着き、魚を主食とし、タロイモを栽培して食べたとか。

 そして、12〜13世紀にタヒチ人も移住(とはいえ、これもポリネシア人系です)。そして、この頃から権力闘争が発生していきます。さらに身分制社会が到来。すなわち、アリイ(王族)・カフナ(神官)・マカアイナナ(平民)・カウバ(奴隷)の4つです。前者2つが貴族階級であり、また、女性に対する禁制や差別も存在しました。

 また、古代のハワイの人たちは、先祖が神であったと考えていました。アリイ(王族)という身分の人々は、その中でも特に神とつながっている家系・マナとよばれる神の精神を受け継ぐ家系と思われている人々で、さらにアリイを束ねる最高権力者はアリイ・ヌイとよばれます。

 この、アリイ・ヌイという地位は父子相伝、つまり親から子に受け継がれる地位ですが、当然それを巡って争いが起こります。アリイ・ヌイを目指す王族は、味方になってくれる王族とその支配民である平民を従え、ライバルの王族と戦いました。なお、戦闘は、剣で斬り合ったり弓を討ったり・・というものではなく、まず、投石でスタート。そして、木槌と石鎚で戦いました。

 ところで土地については、所有という概念がハワイの人々にはなかったそうです。なぜならば、彼らは「人は死んで土に帰っていくが、土はいつも変わらずそこにある」と考えたからです。そして、王族は土地を守り、その中で平民達は農作業をしていたという。が・・、ということは王族による土地の所有があったんじゃないの? う〜ん、よくわからん。

3.ハワイの統一と併合

 長らくハワイ諸島には統一王朝がありませんでしたが、カメハメハ1世(大王)(1758〜1819年、在位1782〜1819年)が、はじめて統一王朝を建てることになります。彼はハワイ島のコハラにおいてアリイの家系に生まれ、1778年に「ハワイを発見した」ヨーロッパ人ジェームス・クック(1728〜79年、通称キャプテン・クック)と出会います。

 そして82年にハワイ島の支配者となった後、イギリス人の軍事顧問と最新の武器を導入。1810年にハワイ諸島全域を完全統一し、諸島全域で統一された法律を制定。またカメハメハ1世は、農業や産業の振興に努め、特にサンダルウッド(白檀)というものを中国向けに輸出したり、欧米との貿易により富を築きました。しかし、カメハメハ1世は日本の明治初期のように見境なく西洋化を進めた、というわけでなく、ハワイの独自の習慣と宗教も守りながら、欧米の思想・文化などを受け入れたのです。

 1810年代終わりになると、アメリカ海外伝導評議会がキリスト教を布教するため、ハワイに宣教師を派遣します。ちょうどそのころ、ハワイではカメハメハ2世が「」という前述の伝統的なタブーを否定し、神官の地位や伝統宗教そのものが崩壊しつつあったため(白人との接触で原住民の価値観が変わった)、いともたやすく布教に成功しました。

 また、文字のないハワイ語をアルファベットに置き換えた上で聖書も出版。1825年、やはりカメハメハ2世の時代に王族の1人カピオラニが女神ペレに対する信仰を破棄し、キリスト教に改宗したことから、これはハワイ王国の国教となりました。ところが、宣教師達の権力が増大し、彼らは原住民の伝統文化や儀式を邪教として排斥。歌謡の一種であるオリ・伝統芸能の一種フラなども禁止してしまいます。これはキリスト教の悪いところですねぇ。

 カメハメハ2世の後を継いだカメハメハ3世は議会制度を導入し、さらに憲法も発布し、さらに白人も政府に加え一気に西洋化を進めました。また、砂糖キビのプランテーションも登場し普及。土地改革が行われたこともあり、ここに土地の所有という概念がハワイ人達に起こります。また、1840年にカメハメハ3世は、公立学校の制度も整備しました。

 その後、イギリス・フランスの侵略がたびたび発生。それどころか一時的な占拠もされてしまいます。そして、このカメハメハ1世の家系は一生独身を通したカメハメハ5世で断絶し、次の王は議会から有力な首長のひとりであったルナリオ(1835〜1874年)が選出されました。 しかし、在位2年で没し、彼と王位を争った。カラカウア王(1836〜1891年)が第7代国王として即位しました。そして彼の時代に、ようやく伝統文化・芸能は復権することになりましたが、もはや大部分が忘れ去られ、手遅れという状況でした。

5.日本との合併?

 ところで、カラカウア王、何と世界一周旅行に出かけます。
 そして1881年(明治14年)、外国元首としては初めて来日し、赤坂離宮で明治天皇と会見。王は明治政府に対し、それまで日本と締結されていたハワイ側有利の不平等条約を改正し、諸外国としては初めて日本に対し不平等条約撤廃をしました。これは、白人支配が強まる中、日本の支援と、さらに日本人からの移民をしてもらうことで勢力均衡を図ろうという王の考えです。

 さらに自分の姪と日本の皇室の男性(山階宮定麿親王)と姻戚関係を結び、生まれた子供に王位を継がせ、究極的には日本とハワイで合併しましょうと提案しましたが、これは断られました。カラカウア王は、同じ島国同士、日本と共にアメリカと対向したいと考えていたので、姻戚関係を結んでしまうと、日本とアメリカの関係が悪化してしまうからです。

 また、日本からもっとハワイに移民をくださいと提案したのですが(つまり、既にハワイには沢山の日本人がいました)、これについても「メンツ」がかかっているため明治政府は難色。しかし、西南戦争(西郷隆盛の反乱)後のインフレに苦しんだ人々が大量に出国していったため、85年にしぶしぶ明治政府は移民に関する条約を結びました。

 で、カラカウア王ですが、アメリカの圧力で王権が制限され、サンフランシスコで没しました。

6.最後の女王・リリウオカラニ

 次に即位したのが、カラカウア王の妹・リリウオカラニ女王(1838〜1917年)です。名曲「アロハ・オエ」を作曲したことでも知られる彼女は、白人支配からハワイ人に政権を取り戻すべく、精力的に活動していきます。一方この頃、白人宣教師達は、さらにビジネスに手を染め始めます。1835年に砂糖のプランテーションを彼らは作り、成功。すると次々とビジネスマンに変身し、宣教師をやめるものが続出しました。

 そしてハワイにおいて、白人による5大財閥を形成していたのですが、リリウオカラニ女王がアメリカとの不平等条約(白人達が作ったハワイ産の砂糖を免税する・アメリカが真珠湾を独占的に使用するなど)を破棄しようとしたことに腹を立て、なんとクーデターを起こし、女王と側近を幽閉。

 かくして1894年、白人達は、サンフォード・ドールを大統領とするハワイ共和国を建国しました。実は、アメリカ本国にハワイ併合を要請するのですが、この時、アメリカ合衆国側は「ハワイ併合」をせず、それどころか王政復古すら求められるという大誤算を生じます。これは、ハワイについて特に重要視してなかったからです。ですから、仕方なく自分たちで共和国を作ったのです。

 しかし、そのうち太平洋戦略の重要な拠点と位置づけ、98年にマッキンリー大統領は併合を承認しました。なお、その前にリリウオカラニ女王は復権を目指しますが失敗に終わり、王位の破棄を完全に認めさせられています。 こうして、ハワイ人による国家は終焉を迎えました。

 ちなみに、クーデターが起きた時、日本は邦人保護を理由に、東郷平八郎と戦艦「浪速」をホノルルに派遣し、クーデター側の臨時政府の威嚇をしました。これには欧米の帝国主義に腹を立てた日本人移民の意向もはたらいており、原住民もこれを非常に歓迎。ですが、その後日本は帝国主義国へ仲間入りをしていきます。

7.日系人

 さて、ハワイを自国領としたアメリカですが、日系移民の増加はアメリカ合衆国に「日本脅威論」をもたらしました。また、実際に他に移民してきたフィリピン系労働者などと日系移民が手を結び、白人の工場でストライキを起こすなどもし、日系人達は、このように他の移民達と協力して白人達に対抗していきます。そのため、次第に日系人と白人達は対立するようになります。

 こうした中で、真珠湾攻撃・太平洋戦争は起こります。 じゃあ、日系人と白人の争いは血みどろの抗争になったのでしょうか?

 面白いことに、真珠湾攻撃で困ったのはハワイの白人達でした。対立はしていたとはいえ、かなりの人数がいる日系人は、商売上お得意さまでした。また、日系人としてもこのままハワイで虐げられているわけにはいかず、多数の人間がヨーロッパ戦線においてアメリカ軍に従軍し、アメリカ国民として戦います。そして、ここで獅子奮迅の働きを見せ、「よきアメリカ合衆国人」であることを証明させたのでした。

 これによって、戦後日系人の地位が向上。また、ハワイの財界・政界に次々と進出した。74年にはジョージ・アリヨシ氏が日系人初のハワイ州知事となりました。ちなみに真珠湾攻撃ですが、先住民の人たちは単純に、日本がハワイのアメリカ軍を攻撃、というように、他人事として記憶しているそうです。

 さて1959年、ハワイはアメリカの50番目の州に昇格。エルビス=プレスリー主演の映画などで有名になり、いよいよリゾート地として開発が始まります。そして、高度経済成長を遂げた日本からも次々と企業が進出。先住民を無理矢理追い出し土地を買い占めるなど、悪名高き行動をとります。

 もちろん、日本だけでなくアメリカのリゾート開発企業も次々と進出。気がつけば、ハワイ、特にオアフ島は次第に自然の美しい風景から、人が造った風景へと変わっていったのです。すなわち、ハワイは1つのエンテーティメントパークと化してしまったのです(もちろん、まだ美しい自然が残るところもありますよ)。

 さて、そんな中、先住民族の人々は先住権の回復運動を行っています。また、日系人ですが、アメリカ本土に渡る日系人が多くなり、人口が減少。その分、当然ハワイにおける社会的地位も少しずつ低下を始めています。今後は少数民族へと変わるかもしれないですね。ちなみに、白人の人口は全人口の34%、アジア系の人口は62%です。

8.おまけ=現在のハワイの産業

 ところで、折角なので今のハワイの産業についても解説しましょう。
 サトウキビやパイナップルなどが大規模に栽培されたハワイでしたが、現在は農業収入は州の年間総生産の約1%を占めるにすぎなくなっています。それでも約4000の農場があり、平均規模は157ha。年間農業収入の約84%は農作物収入です。主要作物であるサトウキビとパイナップルは、今も大規模な農場で栽培されています。

 サトウキビはハワイ・マウイ・オアフ・カウアイの島々で生産。パイナップルはかつてはオアフ、マウイ、モロカイ、ラナイといった島々の基幹となる産業でしたが衰退し、多角的農業が重要性をましています。また、果実や野菜は地元市場向けに栽培され、輸出向けのパパイア・マカデミアナッツ・花・苗木などが発展しつつあります。

 さらにハワイ島のコナ地区ではコーヒーが輸出用に栽培されており、合衆国唯一のコーヒー生産地となっている。いくつかの島では肉牛の飼育もおこなわれています。 また、捕鯨基地として栄えたハワイの現在の漁業は、マグロ漁が中心となり、年間漁獲高は約7000万ドルです。

 工業は州総生産の約4%を占め、1万9000人ほどが従事しています。おもな工業は、粗糖、果物の缶詰、ジュースなどの食品加工・印刷出版・衣服や織物など。加工食品と織物は地元のほか、本土や外国市場向けに輸出されています。

 と、このようにハワイは一見観光専門のように見えるが、第1次・第2次産業もしっかり機能しています。

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