歴史研究所世界史レポート第5回
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お金の歴史 ----- 

○はじめに  今回はお金の歴史がテーマ。簡単に、我々が普段よく使う「お金」が、どのように誕生していったのかを見ていきましょう。

1.貨幣の登場  まず、お金(まずは貨幣)がなぜ登場したか

 もともと経済は「物々交換」で成り立っていました。これは知らない人はいないでしょう。

 しかし、考えてみれば、物々交換の場合、そもそも「物」を持っていることが前提の上、しかも自分が持っている物を欲しがる相手がいるかどうかを探すのが一苦労・・・。そこで貨幣が登場したわけです。ただし、古代の貨幣にはいろいろな種類がありました。

2.古代貨幣の種類   例えば、中国の場合、貨幣は「」でした。殷の時代の末期、紀元前1500年頃から使われだしたらしく「宝貝」と呼ばれます。なお、「貝」が何故使われたかというと、持ち運びが容易なこと、それから流通するのに必要な量があったこと、またそれ自体が美しく、装飾具としての価値もあったことが挙げられます。古代インドでも貝が使われ、その他の国では、「石」や「骨」、「革」、「犬の歯」などが使われました。ただし、その後、国の仕組みがしっかりし、経済が発達するようになり、ある意味で「グローバル化」が進み、他の国どうしで交易が始まるようになると「金貨」「銀貨」「銅貨」という金属の貨幣へ変わりました。



←古代の貨幣  マイクロソフト エンサイクロペディア エンカルタ2001より

 ただし、当初は財貨のかさ、粒状あるいは塊状の金銀などがもちいられ、あんまり価値が一定していなくて商業では非常に不便でした。そこで、きちんと鋳造した貨幣が出る事になったのです。これを「鋳造貨幣」と言って、最古のものは紀元前7世紀の、小アジアの国リディアの物とされています。  これをうけて、古代ギリシャやローマ帝国など各地で鋳造貨幣が登場。さらに、この貨幣には人物や動物の顔が掘られるようになりました。当初は古代ギリシャにおいて、神の顔が掘られるだけでしたが、紀元前300年頃、エジプトのプトレマイオス1世が自分の顔を掘らせるようになってから、かくのごとくなりました。また、ローマ帝国は貨幣の鋳造権を独占し、勝手に貨幣を造らせないようにし、形、品質などを定め基準を整備しました。  しかし、ローマ帝国の崩壊と、その後の国家乱立の中で、国ごとに好き勝手に貨幣が鋳造されたため、混乱を招きました。この混乱は近世の中央集権国家が登場するまで続きます。

 その代わり、ビザンツ帝国、及びササン朝ペルシア、イスラム諸国は安定していたため、引き続き金銀の貨幣が使用され交易に大きく貢献しました。時代により、お互い金本位制だったり、銀本位制だったりします。

3.中国周辺の「銅銭」流通  一方、中国の場合も紀元前7世紀頃から金属の鋳造貨幣となり、また紀元前3世紀に秦の始皇帝が、漢字を配し、丸い貨幣の真ん中に四角い穴をあけた「円形方孔」というタイプを鋳造し、中国全土の貨幣統一を図り、結局このタイプの貨幣が近代までずっと使われました。日本でもこれに習い「富本銭」「和同開珎」などが鋳造されますが、銅の産出量が少なかったため、またその後、中国から貨幣を輸入し使用していくことになります。

 中国から見れば、日本は銅銭を金銀をだして買っていたため、不思議に思われたそうな。しかし、日本では銅が貴重だったのです。ですから、銅の量が少ないニセ金(悪銭、びた銭)も平然と流通できました。ただし、4枚で良銭1枚みたいな感じでしたけど。ちなみに、古来より中国では、金銀は貨幣としてでなく贈答用に(例:ワイロ、報償)使われてきました。

4.中国での紙幣登場  さて、中国は日本を始めアジア諸国で自国鋳造の銅銭が普及したのは、自尊心には良かったものの、輸出のしすぎで本国でも不足し始めました。

 それを受けて、世界最古の紙幣として、宋の時代に四川地方において交子が発行されました。これは、外国との貿易によって銅銭が海外へ流失したことを受けたものです。最初は民間で発行していましたが、そのうち国で管理するようになりました。なお、全国的には交子ではなく、会子というほぼ同じ形態のものが普及します。これは財政赤字を埋めるために政府によって乱発され、経済を混乱させました。どこかの国の政府も同じようなことをしていますね。

 さらに、この宋を滅ぼした金・元といった異民族の征服王朝、及び漢民族の王朝として復興した明では、やはり同じ形態である交鈔(こうしょう)が発行されました。マルコ・ボーロはこの紙でできたお金に驚いたそうです。中国では、ヨーロッパよりも遙かに早く印刷技術(木版印刷)ができたため、こういうことが可能になったのです。

 と、いうわけでヨーロッパで紙幣が使われるようになるのは活版印刷が発明されて、なおかつ19世紀以降になります。この時発行された紙幣は兌換紙幣といって、金と交換できることになっていました。これを金本位制と言います。現在は不換紙幣で金と交換できないものがほとんどです。

 なお、明の時代より、日本やメキシコから銀が大量に流入し、銀中心の経済になったため、紙幣は次第に使われなくなってしまいました。

 以上、主に中世ぐらいまでのお金の歴史を見てみました。

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