第10回 十字軍概略

担当:海苔

十字軍とは?

 それでは、本題に入ろうか。  十字軍、というものが歴史に現れたのは、前述した通りイベリア半島のスペイン北部を支配していたイスラム勢力に対する領土回復が最初である。ただ、これは一般に言う「第○回十字軍」とは別物であることを覚えていてもらいたい。ユダヤ人討伐を目的とした私的十字軍なども同様である。

 では、一般に言われる十字軍とは何か。簡単に言えば―――多少の語弊はあるだろうが―――「東方の聖地奪還を目的としたもの」である。
 何故、東方なのだろうか?
 この疑問を笑う方もいるだろう。「キリスト教徒にとっての聖地だからだ」。はてさて、果たしてそれだけだろうか。
 確かに大きな要因ではあるが、唯一絶対のものではない。そも、この十字軍というのは熱狂的な運動であるが、熱狂的であるが故に様様な要因がその運動の根拠となっているのである。

 まず、東方には旨味がある。国土回復の(少なくとも中世社会の民衆にとっての)大儀を利用して、未だ未開拓である地を我が物とするという理由がある。

 次に、これが重要なのであるが、東方十字軍遠征の直接の原因となったといえるだろう、1085年当時のビザンティン皇帝アレクシウス一世教皇ウルバヌス二世に東方への援助。これをきっかけに、1095年のクレルモン公会議を頂点とする東方遠征への呼びかけが高まったわけである。

 つまり、東方への遠征は、中世社会の内的事情(ペスト、社会不安、経済危機など)と外的事情、それにキリスト西方教会の思惑が噛み合った結果、十字軍の東方遠征が決まったと言えるのである。

 ここに政治的理由や高度な思考はない。あったとしても、何らかのきっかけでその意義は失われ、実際、十字軍は正に「回を重ねる毎に」本来の大儀を見失っていく。いや、そもそもそんな大儀は無かったと言っても良い。そんなものはこじづけでしかなかったのだから。
 十字軍の結果として得られた東方のラテン国家も、ヌール・ウッディーンサラディンバイバルスなどのイスラムの三大英雄などの「苦々しい活躍」により亀裂を生じ、中世ヨーロッパの混乱により瓦解し、トルコやシリアの民族により駆逐されていくのである。
 最終的に、十字軍は何を残したのだろうか。教会内部にはプロテスタントという敵が現れた。各国は結束などというものに二度と意味を見出さないだろう。

 宗教改革・ルネッサンスの時代は、並行する形で船を寄せてきていた。

*資料 十字軍関係年表へ

 2003年6月27日初稿

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