宗家第一七代 徳川家正&宗家第一八代 徳川恒孝

●徳川家正 基本データ

 生没年 1884(明治17)年〜1963(昭和38)年 79歳
 父:徳川家達 母:泰子(近衛文麿の叔母) 妻:正子(島津家) 婿養子:徳川恒孝(会津松平家 家正の孫)
 娘:松平豊子(松平一郎妻 恒孝の母) 上杉敏子 関根順子
 

●業績・御仕事(徳川家正)

 ・シドニー総領事、カナダ公使など外交官
 ・トルコ駐日大使(昭和9年)
 ・最後の貴族院議長(昭和21年〜22年5月)

●徳川恒孝 基本データ

 生年 1940(昭和15)年
 父:松平一郎 母:松平(徳川)豊子 妻:幸子(旧姓:寺島)  兄:松平恒忠 弟:松平恒和

●業績・御仕事(徳川恒孝)

 ・財団法人「徳川記念財団」を設立し、理事長に就任し、徳川家の財産を後世に伝えるべき管理。
  ホームページ:http://www.tokugawa.ne.jp/j/index.htm
 ・東京国立博物館で「大徳川展」を開催(2007年)。全徳川家の至宝から選りすぐりの品々を公開する。
 ・徳川家についてメディアなどで数多くの講演を行う。
 ・最近の著書として、『江戸の遺伝子 いまこそ見直されるべき日本人の知恵』(PHP研究所 2007年3月)

●考察・エピソード

 徳川慶喜が最後まで嫌い抜いた宿敵、島津家から妻を娶ったのが第17代の徳川家正である。 東京帝国大学卒のエリートで、外交官として活躍。戦後、最後の貴族院議長となり、貴族院と華族制度の解体に立ち合った。なお、皇族以外で親子2代に渡って貴族院議長を務めたのは家達・家正親子のみ。
 
 娘は3人いるが、長男家英が夭折したため、つまり死んじゃったため、会津松平家に嫁いだ豊子が産んだ三人の息子(恒忠、恒孝、恒知)のうち、恒孝(つねなり)を養子とした。会津松平家は、幕末に京都所司代を務め、新撰組を指揮し、戊辰戦争で新政府と戦った松平容保(かたもり)の子孫である。

 恒孝氏は1940年生まれで、現当主である。日本郵船取締役欧州大洋州事業部長、日本郵船副社長を務めた後、現在は徳川記念財団を設立して理事長を務め、2007(平成19)年10月10日〜12月2日には、東京国立博物館で徳川将軍家、尾張徳川家、紀伊徳川家、水戸徳川家の至宝を一堂に会した「大徳川展」を開催しているほか、2008(平成20)年2月〜3月には、江戸東京博物館で特集展示「家康・吉宗・家達〜転換期の徳川家〜」を実施。

 ちなみに日本郵船時代は、加賀前田家第18代の前田利祐(としやす)氏と先輩・後輩の間柄だったらしく、上司は「徳川と前田の当主を使うのは豊臣秀吉以来、おれが初めてだ」とご満悦だったとか。なお、海外では「ショーグン」として通用。広く知れ渡る一方、「妻は10人いるのか」などトンチンカンな質問も多数受けたそうである。

 なお、娘の敏子は上杉家へ嫁いだ。もちろん、あの上杉家である。ただし、上杉家は上杉謙信の養子となった上杉景勝の血筋が江戸時代中期に断絶し、忠臣蔵の悪役的存在になってしまった吉良上野介義央の息子・義綱の子孫が跡を継いでいる。

 余談だが、徳川恒孝の妻・幸子は、細川護煕元首相の叔母(寺島宗従妻・姿子)の娘、つまり従兄弟である。 ちなみに寺島宗従は、明治時代に条約改正に尽力した寺島宗則外務卿の孫。

*なお、このコンテンツ作成に当たっては、系図で見る近現代という個人HPも参考にさせて頂きました。


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