世界各地域史・西アジア史
第2回 農耕の開始(2)

●メソポタミア文明

 農業が始まると面白いもので、今度は生産した食料を奪われないようにしないといけません。そこで、人口も増加したこともあり、次第に集落は都市へと変貌します。特に、前2700年頃から、シュメール人と呼ばれる人々の都市国家が多く成立します。その代表格は、ウルウルクといった都市。

 それは、日干しレンガで建てられた神殿を中心とした居住区に周りを城壁で囲み、さらに都市を運営するための政治身分・組織(すなわち王・官僚・神官・軍人・商人・職人)と言った人々が発生します。つまり、階級社会が成立したわけです。そして、土地は原則として神のもの。戦争などは神の名において行われ、神権政治が行われました。

 王(いわばボス)と支配組織が登場するのは、当然農産物の分配に起因します。全員が農民の時代はともかく、非農業従事者が出てくると上手に分配してあげないといけません。

 また、前3500年頃から、支配が容易になるように文字が登場し、粘土板に文字(楔形文字〜くさびがた〜)を書き記すようになり、都市間で交易が行われるようになります。そして当然ながら、都市間で覇権を競い合い戦争も行われます。

 農業形態も大きく変わりました。農業と家畜によって増えた人口をさらに支える必要に迫られた人々は、これまでの自然の雨に頼る農業法では食糧が増産出来なくなりました。

 しかし、雨の良く降る肥沃な土地というものはそうはありません。なら、どうするか。まずは広い土地を作ろうと言うことで、森を切り開き、畑を作るようになります。そして、そこに水路を造り、水の多いところから流し、水を安定供給する。この様に、大規模な工事で整備した農法のことを、灌漑農業と言い、ハラフ朝(前5000年後半)の頃から始まり、ウバイド朝(前4000〜前3400年頃)には技術がほぼ完成したそうです。

 では、水の多いところとは?それは、当然川です。西アジア地域で特に大きい川と言えば、ティグリス川、ユーフラテス川。その中でも、下流域では特に都市が発達するようになりましたとさ。なお、図で言うとペルシャ湾から流れる川のうち、ティグリスが上側、ユーフラテスが下側になります。

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