世界各地域史・西アジア史
第3回 メソポタミア初期国家の成立と興亡(2)
| ●バビロニア王国 |
紀元前1900年頃、アムル人の支配したバビロニア王国(神の門の意)は、バビロン・ウルク・ウル周辺を支配しました。と、同時に紀元前2500年頃より商業国家として栄えたアッシリア王国も、アムル人系の支配者シャムジアダド1世の下、軍事大国となり西方へ遠征するようになります。
しかし、なんと言ってもバビロニア王国第6代のハンムラピ王の力が強大で、この近辺を巧みな同盟政策などにより各都市国家を撃破し、ペルシャ湾からシリア地域まで、メソポタミアを統一します。
何でそんなに強かったというと、やはり中央集権体制がしっかり整えられたからです。地方官僚に対し、書簡のやりとりをすることで詳細な報告を受け取り、また指示を与え、さらに監視役として巡察使を派遣し、さらに産業の発展のため道路の整備、灌漑設備の強化を行います。そして、その中で最も有名な業績がハンムラピ法典です。民法、刑法、民事訴訟法(訴訟の手続)、税法などが282条から雑多に混じって成り立ち、「目には目を、歯には歯を」でお馴染みで、刑法の部分は徹底的な復讐法という形になっています。
ただし、身分によって相手に復讐できる権利は変動します。なお、身分は貴族、自由民、奴隷の3つ。ただし、この法律が実際には施行されたかは・・・不明らしいです。なお、奴隷といっても家庭生活も営めましたし、財産も所有でき、解放されることもありました。これはこの後もそうですが、ヨーロッパで言う奴隷とは性格を異にしますね。
ちなみに、「強者は弱者を虐げないように、正義が孤児と寡婦に授けられるように」というなかなか立派な理想の条文もあります。このような安定した統治国家の下では商業が発達。貨幣を使った経済が発展し、また一方で借金に苦しむ人も出てくるようになります。
そんなに発達した文明ですが、発達したが故にハンムラピ王の死後は財宝を狙って異民族が侵入してきます。バビロニア王国は、世界で初めて鉄製の武器を使用したヒッタイト人によって滅んでしまいました。
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