世界各地域史・西アジア史
第3回 メソポタミア初期国家の成立と興亡
| ●ヒッタイト・カッシート・ミタンニ王国 |
さて、バビロニア第一王国を滅ぼしたヒッタイト人ですが、これに限らず多くの諸民族達が移動を開始し、各地の先住民を従えるようになります。いわゆる、インド・ヨーロッパ語族の大移動です。その名の通り、インド地域から中央アジア、中東、ヨーロッパに分布する言語をひっくるめたものです。
これは18世紀末のイギリス人ジョーンズが古代インドのサンスクリット語、ギリシア古典、ラテン語が非常に似ていることを指摘したことから始まったもので、その後の研究で根底となる部分が同じであることが判明したのです。まあ、この辺の話は省略します。
さて、この言葉を話す民族のうち、特に有名なのが、そのヒッタイト人です。彼らはラバルナ1世(位前1680〜前1650年)の下、クッシャラを首都とするヒッタイト古王国を建国すると、東方へ進出。3代目のムルシリ1世の時、バビロニア第1王国を滅ぼすのです。しかし、バビロニアを滅ぼし、意気揚々と故知に戻ったムルシリ1世は暗殺されてしまいました。王位継承が成文化されておらず、この後も王族の暗殺が相次ぎ、ヒッタイトはしばらく衰退。一時はテリピヌ王(位 前1525頃〜前1500頃)が混乱を収拾し、王位継承についての厳格な勅令をだしますが、やっぱりその後内紛が発生し、崩壊。ヒッタイトは都市国家群として残り、その後、ヒッタイト新王国として再統一します。これは、また後ほど見ていきます。
また、ムルシリ1世暗殺後に、バビロニア地域にはヒッタイトではなくカッシート人が進出しました。民族系統は不明ですが、これもインド・ヨーロッパ語族に近いと考えられています。彼らはバビロニアにカッシート王国を建国。前1417〜前1376年のアマルナ時代と呼ばれる頃が非常に強大で、ヒッタイト人、ミタンニ王国、アッシリア王国と争います。しかし、前1225年頃にアッシリアに屈服し、その後独立を果たすものの、前1115年頃にシリアのエラム人達によって滅ぼされました。
そうそう、ミタンニ王国についても書いておかねば。ミタンニ王国とは、ヒッタイトとアッシリアの間にある国家です。大多数のフリル族をインド・アーリア系の民族が支配する国家で、前16〜15世紀が最盛期。馬術が得意で、ヒッタイトにも調教師を送っています。このころ、エジプトやヒッタイト、バビロニアと4強と呼べる存在で、アッシリアを服属させていましたが、王家に内紛が起こり衰退しヒッタイトに服属。王家の内紛は滅亡につながりやすい。
というわけで混乱に乗じて、アッシリア王アッシュールウバリト1世(位、前1365〜前1330年)は、チャンス到来!!と、ミタンニの支配をのがれ、一気にこれを滅亡させました。後にも述べますが、とにかくアッシリアは前2500年頃から続く国家でありながら、勢力を拡大したと思ったら衰退して強国に従属する。ところが、また突然勢力を盛り返すという国家です。
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