
このように、新バビロニアや周辺国は栄えますが、もっと強い勢力が誕生。それが、イラン(ペルシア)人によ
るアケメネス朝ペルシア帝国。
アケメネスというのは、最初の族長の名前です。最初はメディア王国の支配下にありましたが、
キュロス2世(大王)は、メディアに対して反乱。前550年にこれを滅ぼし(赤色が初期領土)、リディア(前546年)、新バビロニア(前539年)と、次々と滅ぼし、
カンビュセス2世はエジプトを滅ぼしオリエントを統一しました。
ちなみに、メディア王国に対する反乱時、メディア軍の一部もペルシアに協力しています。そのためメディア人はペルシア人と同格として大切に扱われました。ゆえに、アケメネス朝の支配機構はペルシア人とメディア人で占められていました。
絶頂期を迎えたのは、
ダレイオス1世(位 前522〜前486年)の時です(上図は最盛期の領土)。実は即位時、カンビュセス2世の弟を名乗る偽物の祭司
ガウマータによって王位が奪われていました。そのため、まずはこれを殺す事から、彼の王としての仕事が始まりました。次に、帝国内での反乱を次々と鎮圧。
そして帝国を20の州にわけ、それぞれに
知事(サトラップ)を派遣。さらに、監察官を派遣し、
「王の目」「王の耳」として監視します。また、交通網の整備として幹線道路「王の道」をつくって駅伝制をととのえ(2400kmを7日で結ぶ)、経済活動を活発にするために金・銀2種の欽定(きんてい)通貨をつくります。
ところで、彼の凄いところは、国内のさまざまな民族に対してはその宗教を尊重したところです。例えば、バビロン補囚などで弾圧されていたユダヤ人に対しては、エルサレム神殿を再建を許可しています。
さらに、アッシリアなどでは全地域に1つの法律を適用していましたが、ダレイオス1世は地域ごとに慣習などを重んじ、服属する限りはなるべく干渉しませんでした。ただし、前述のように統治者にはペルシア人・メディア人をあてました。