現在、相次ぐイスラム過激派による自爆テロが、世界を震撼させていますが、実はイスラム中世期にもテロで恐れられた集団がありました。それが、シーア派過激派ニザール派。シーア派のためならば、イスラム・キリスト教(十字軍)だろうが多くの要人を暗殺しまくっていました。イスマーイール派の
ハサン・サッバーフ(?〜1124年)が、それを分裂させて作りました。イラン山中に拠点を構え、暗殺者をどんどん送り込みます。
暗殺・・・例えば、セルジューク朝の宰相ニザーム=アル=ムルク。名君である第3代スルタン・マリク=シャーと二人三脚でセルジューク朝の最盛期をつくった人物ですが、1092年、彼はバグダードに帰る途中でニザール派によって暗殺されました。そして、彼とマリク・シャーの死後、セルジューク朝は分裂します。
暗殺はセルジューク朝トルコを中心に行われたほか、十字軍に対しても行われ「
アサシン」として恐れられました。アサシンという言葉は、暗殺者が麻薬を飲んでから暗殺することから、大麻を表すアラビア語「ハシーシ」が由来となっているそうです。
このニザール派に対してセルジューク朝は戦いを挑みますが、本拠地を陥落できない。結局やられるがままとなりましたが、1256年。中央アジアでチンギス=ハンによって突如勃興したモンゴル帝国によって、ついに滅ぼされました。モンゴル軍を率いてきたのは、チンギス=ハンの末子トゥルイの息子・フラグです。ちょっと内容が少ないですが、次の回へ進みます。
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