第2次世界大戦〜終戦までの4ヶ月 本筋2:ヒトラーの最期

担当:林梅雪
●ゲッペルスの楽観的予想?
 1945年4月20日、アドルフ・ヒトラー総統の56回目の誕生日がベルリンの総統官邸地下壕で行われました。その席で宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスはヒトラーに向かって次のように述べました。
「我が総統よ。あなたを祝福します。ルーズベルトが死にました。星回りによりますと、四月の後半は我らにとって一大転換点になるだろうと記されています。」

 かつて、アドルフ・ヒトラーの尊敬していたプロイセン国王フリードリヒ大王が、七年戦争でオーストリア、フランス、ロシアの連合軍との間に苦戦を強いられ、ベルリンのサン=スーシ宮殿まで連合軍が迫り、大王が自殺を図ろうとしていたまさにその時、ロシア皇帝が死去し連合軍の足並みが崩れ、フリードリヒ大王が逆転勝利したことがあったのです。

 つまり1945年4月12日、アメリカのルーズベルト大統領が急死。
 ゲッベルスにとって、それはゲルマンの神々から授かった幸運の印であったのです。フリードリヒ大王のときと同じく、連合国側の足並みが崩れ、最後にはヒトラー総統と彼の率いるナチス・ドイツが勝利する良い兆しだと考えたのでした。

 確かに大戦末期より、連合国内での不信と対立がより顕著になっていました。ベルリンを速やかに陥落させ、ソ連の優位に立とうとした英首相ウィンストン・チャーチルは、モントゴメリー将軍にベルリン攻撃を急がせます。ところがアメリカのアイゼンハワー将軍(後に大統領)は、ベルリンは軍事的に重要な拠点ではないと判断し、スターリンにその旨を伝えます。

 なんと、アイゼンハワーはベルリンの政治的重要性を全く無視していたのです。一方、猜疑心の強いスターリンは、アイゼンハワーからの電報を米英の罠だと判断、ジューコフ元帥にベルリン攻撃を急がせるのでした。

 このように連合国側の足並みは崩れつつあったのは事実です。しかし、連合国はお互い多くの不信を持ちながらも、速やかにナチス・ドイツを打倒するという点では一致していたのでした。

●去りゆく側近達  結局4月16日、ソ連軍がベルリン総攻撃を開始します。
 ヒトラーの誕生会はこの総攻撃の最中行われたものでした。

 誕生会に居合わせたナチス・ドイツ指導者のお歴々には(恐らくゲッベルス本人にも)、ナチス・ドイツの終焉が近いことが分かっていたと思われます。側近達は総統を祝いながらも、心の中でこれからの自分の身の振り方を考えていたことでしょう。

 例えば、ヒトラーの後継者に指名されていた国家元帥へルマン・ゲーリング(兼空軍元帥)は、緊急の用事があるとヒトラーに冷ややかに言い残し、陥落間近のベルリンを後にします。また、ヒトラーの死刑執行人としてユダヤ人や戦争捕虜を虐殺した第一人者の親衛隊隊長ハインリヒ・ヒムラーも、ヒトラーの下を去りました。

 ゲーリングは、その後ヒトラー宛ての電報で、ヒトラーの後継者として自分がドイツ軍を指揮することを要求します。またヒムラーはこの直後、ヒトラーに秘密でスウェーデンのベルデナット伯爵を仲介に米英(ソは除く)との和平交渉を試みます(結局失敗)。ヒトラーは死に際し、この二人を反逆者としてすべての地位を剥奪しました。

 そして、他の側近もヒトラーの下を去り、彼の下に残ったのは、宣伝相ゲッベルス、総統官房長マルティン・ボルマン、そしてこの時期に地下壕にやってきたヒトラーの愛人エヴァ・ブラウンとわずかな使用人だけでした。

●ヒトラーの自殺  ところで、彼の誕生日1ヶ月前の3月19日、ヒトラーはいわゆる「ネロ命令」を出しました。
 これはドイツ国内のあらゆる軍事施設、交通、通信、産業等をことごとく破壊しろという内容の命令だった。なんと、ヒトラーは自分の死と共にドイツ帝国を滅ぼし、ドイツ国民の生存への可能性を奪おうとしたのです。

 ヒトラーは抗議しに来た側近にこう語っています。
「今大戦において、この国民は弱者であることを証明した。ドイツ国民は、自らの民族の生存のために、最後まで血を流して戦うことをしなかったではないか」
 つまり、ヒトラー自身にも彼の最期が近いことが分かっていたのです。

 そして4月24日、ソ連軍はついにベルリンに突入。
 ヒトラーは28日に、愛人エヴァ・ブラウンと結婚。
 30日の午後3時半ごろ、ヒトラーは拳銃自殺、エヴァは服毒自殺によって死去しました。

 ヒトラーは死に際し、遺言状を作っていました。

 後継者についてヒトラ−は、大統領に海軍大提督カール・デーニッツ、首相にはゲッベルス(ヒトラーの死後、拳銃自殺)、ナチス党党首にボルマン(ヒトラーの死後総統地下壕から逃亡中爆死)を指名しています。ちなみに、元々第一後継者だったゲーリングは地位を剥奪されており、第二後継者のルドルフ・ヘス総統代理は1941年、イギリスと和平交渉を行うため単独でイギリスに飛び、捕虜になっていました。

 なお、彼は国民についてこう述べています。
「ドイツ国民は、ヒトラーという指導者には値しない国民であることが明らかになり、彼らには私の予言したとおり(みじめな)未来が待っているだろう」


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