第九話 オートバイ・ライフ

 ビッグスクーターを知って半年が過ぎた。免許を取るとらない以前に原付にも相変わらずのっていなかった。さらにこの半年で、学校の役職のお陰ですっかり疲れきっていた。

 バイクへの憧れはストレスのせいで益々強くなり、雑誌を買って具体的にこのバイクが欲しいと品定めをしたりはしなかったが、学校の図書館にあった新書本「オートバイ・ライフ」という本を読んだ。


 作者は普通二輪免許をもってはいたものの、大型免許を持っていなかったので、大型免許をとるために、三十過ぎて(だったような)から、大型免許をとりにいったという。


 免許をとる・・・。


 私にとっては大きな壁だった。自動車の教習ではこれでもかという位、補習を受けてなんとか合格した(あらかじめ規定時間内にクリアできないだろうと思っていたので、補習を何時間受けても追加料金ナシのプランにした)。はっきりいって苦痛の日々だった。教習所には二度といきたくないと思った。


 二輪免許の際にも恐らく教習は壁になるだろう。自動車と違って二輪は取りたい人が取る免許(地方では自動車免許保持は基本。バイクの免許も銀行員等になれば必要なのだが、この時はまだ知る由もなかった)なので、免許を取りに来る連中はある程度運転が上手いやつら(事前に乗って練習しているという意味もあるし、運転センスがあるという意味もある)で、教官も、ある程度センスがあることを前提にして教えてくるのではないか・・・。といった不安があった。


 筆者は若い頃よりも身体能力がダウンしており、大型二輪を扱うのには苦労したと述べていた。しかし、筆者は前向きだった。


「最初はまったく扱えなかった750ccのバイクが、教習時間を重ねるごとに、だんだんと扱えるようになり、体になじんできた。この感覚が嬉しかった。」
といった感じのコメントを述べていたのだ。目から鱗だった・・・。


 私は免許をとるということだけを目標としていて、教習の過程を「試練」としか見ていなかった。たしかに試練と思えるところもあるだろう。しかし、この筆者のように教習を重ねれば、バイクが体になじんでくる、バイクが自由自在に扱えるようになるという喜びを享受できるということではないか!


 自動車には、はっきりいって興味がなかった。ゆえに教習も試練としか感じなかった。やはり、車そのものが好きという感覚を持てなければ、「試練」としか感じないのかもしれない。なじんで来たという感じがするまで乗らなければ、もとから好きでない限り、面白いや好きといった感情は湧いてこないのかもしれない。


 今でこそ好きな車があるが、未だに車の運転に苦痛を覚えることがしばしばあるのも事実である。それでも、以前よりはなじんできたせいか、苦痛を感じるときは少なくなってきてはいるのだが・・・。


 話をもどそう。私は作者のこの文章を読んで、教習に対する不安は払拭されるには至らなかったものの、一つの楽しみが産まれた。恐らく、自分はバイクの教習には苦戦するだろう。しかし、もとから上手くないからこそ上手くなる楽しみがある。そう考えられるようになったのだ。


 月はもう十二月頃だった。実は年末から年始にかけて年賀状の配達のバイトをやることになっていった。実はまたしてもここで


「バイクに乗れれば・・・」
という事態が発生する。
 
 まあ、大学生、年賀状の配達という2つのキーワードがあれば、どのような事態か予想がついてしまいそうではあるが・・・。


棒