第二十三話 裏切りの母校

  バンカー(友人の一人)が、東京の地で二輪免許を獲得した。彼は口では二輪免許をとるといいつつも、いつまでも二輪免許をとりにいかない私に業を煮やし、ついに私からの携帯・メールを着信拒否するようになってしまった。バンカーにいわせれば同じ大学三年生である自分が学校がはじまってから免許を取りにいっているのに、学校があるからといって免許をとりにいかない私の態度が気にくわなかったのだろう・・・。

 私はついに腹を決めた・・・。学校がはじまった当初は「暇がない」と思っていたが、実は結構余裕があった。逆に今とりにいかないと就職活動だ、卒業論文だで取りにいく機会を結局失ってしまいそうだった。私は免許をどこでとろうか考えた。かつて文遠(友人の一人)と計画をたてたとき、私はかつて自動車免許を取得した自動車学校で免許をとろうと考えていた。文遠は二輪専門の学校を推していたが、いかんせん、家から遠いし、二輪をとるという若者が溢れていそうでいやだった。私は自分が上手くバイクに乗れるとは思っていなかった。紆余曲折をへてようやく免許をとることになるだろうと思っていた。ならば二輪受講者があまりいない自動車学校のほうがいいと思っていた。


 私はある日の四時半ごろ、原付に乗ってかつての母校へと向かった。この日、六時からバイトがあったので五時半には家に戻ってこないといけない。自動車学校へはだいたい片道十五分はかかる。ギリギリである。


 なぜこんな時間に飛び出していったかといえば、いつもの躊躇である。いこうかいかないか思索するのである、いこうと思っているのなら行けばいいのだが、私はなかなかこの行動にでれない。結局、自分を追い詰めて、ギリギリになってから行動にうつることになる。


 十一月頃だっただろうか? 原付に乗っていると向かい風が肌寒い。私は時間を気にしながら自動車学校へむかった。むこうに到着した時点で時間がなければ、そのまま帰ろうとも考えていた。煮え切らないヤツだ・・・。


 到着・・・私は自動車学校へはいっていった。母校はかつてと変わっていたように思った。私はさっそくインフォメにいき、二輪の教習を申し出た・・・。しかし・・・。


「今はやっておりません。」


 という回答だった。なんでも現在、自動車教習のほうが大変なので、二輪の教習に人はさけないのだ。ここには二輪の専属教官というのはいないのだ。インフォメの人の話によれば、次のチャンスは十二月とのこと・・・。ちなみに十二月の後半になると高校生が自動車免許をとりにやってくるので、二輪教習の受付はしなくなるらしい・・・。十二月・・・。そんな寒い時期に二輪免許を取りに行くのはただの酔狂だ。十二月になれば就職活動で忙しくなりそうだし・・・。さらにインフォメの人と話をすると五月と九月が一番多くの人がくるらしい。というか、その時期くらいしか二輪教習はやっていないようだ。


 ちなみに、現在、一名が二輪教習をうけているとのこと。ただ、この人、休みがちで最近は姿を現していないらしい。とりあえず、二輪免許教習の受付をやっているときに申し込めば、二輪教習の受付をやっていないときでも教習はしてくれるようだ(当たり前だが)。


 とりあえず私はパンフレットだけもらって検討するという形にした。インフォメの人は付け加えとして


「フルフェイスメットとブーツはもっていますか?」


と聞いてきた。原付に乗るのにフルフェイスはちょっと大袈裟ではと思っていた私は


「持っていません」


と答えた。もちろんブーツももっていない。原付スクーターでバイク用のブーツはアンバランスだ。インフォメの人の話によると、バイクの教習にはこの二点が必要でレンタルもしてくれるそうだが、千円かかるそうだ。もちろん卒業まで貸してくれるということだと思うが・・・。


 私はかつての母校をあとにした。やはり・・・二輪専門学校にいくしかないのか・・・。こんなことなら夏休みのうちにいっておくべきだった。文遠と最後まで一緒にいけるというわけではないが、途中までは一緒にいけたわけだし・・・。


 だが所詮はあとのまつりだった。私は二輪専門学校にいこうと密かに心に誓うのだった。

棒