
ネット上で、世の中の事象や歴史などを様々なことを解りやすく、詳しく紹介する裏辺所長。
そんな裏辺所長自身は何を考えているのか。世俗的なものから、政治・経済・歴史問題まで。
ちょっとだけ、裏辺所長が世の中をバッサリ切ります。
でも、裏辺所長の言うことを信じてはいけません。大切なのは、あなたがどう思うかです。
第2段
歴史教科書・教育問題(10月4日’02)
一時大問題となった、歴史教科書問題。日本国中は、賛成!反対!という声と、「全然興味ありません」という三つ巴で議論が沸騰しました。しかし、基本的には目新しい論争ではなく、以前にも同様の問題があったのですが、その時に出された極論同士のぶつかり合いでした。どちらも他人の意見に聴く耳持たず、ごく一部では、「いや、問題はそう単純ではない」と建設的な意見もあったのですが、事実上掻き消される格好となりました。
終わってみれば、極論同士の本が売れて、お互いに儲かっただけ。しかも、実際の所ほとんどの市民は、この問題にさしたる関心はなし。そんな問題でしたねえ。今回は、所長はどう考えているのか、むしろあれから少し時間が経ってからだこそ、述べてみたと思います。もちろん、片方に偏らない、所長の視点で書いた文章です。
で、以下に述べる文章は、私が高校を卒業した直後に山口県歴史教育者協議会に要請されて、先生で構成される会員の前で発言したものに、修正を加えたものです。その後発行された会報によると、どうも私の述べた意見は完全に無視されたようで、非常に腹立たしい限り。自分たちと主張が合わなくても、別に私は新しい歴史教科書をつくる会の支持を述べたんじゃないんだから、少しぐらい認めたらどうだ。結局、この程度の組織なんですよね。
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1.果たして、教科書は自虐史観か? |
太平洋戦争終結から、半世紀をゆうに経過しました。これだけ時間が経てば、戦争を賛美したがる困ったグループが出てくるのは、まあ当たり前のことかも知れません。そして、このグループ、つまり新しい歴史教科書をつくる会は賛同者を増やしており、危険な存在と言えるでしょう。ただし大多数の市民は、そもそも太平洋戦争に興味が無く、しかも関心がある人達というのは、それこそ新しい歴史教科書をつくる会の言う「自虐史観(=つまり、日本を必要以上に悪く見る)」に毒された人が多いため、現状以上の賛同者を増やすのは無理なのではないかと思います。
第一、受験対策用に作られた、単語の羅列された教科書を相手取って「今の教科書は、自虐史観で書かれている。国民よ、誇りを持て」などと、ふざけたことをいう主張は、きちんと指摘すれば早々に露見すると思います。にもかかわらず、一向に主張を代えることが出来ないのは、面白いと言えば面白い。
その会場では発言しませんでしたが、私が思うにお互いに論争しているようで、互いに本や集会を書いて儲けようとしているのでは?とすら思えます。
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2.教科書と資料集 |
さてさて、ここで私は歴史教科書そのものについて考えてみたいと思います。
先ほど私は、「歴史教科書は単語の羅列」と述べましたが、では実際にはどのような教科書が良いのでしょうか?
結論から言いますと、私は教科書は思いっきり簡潔に書けばいいと思います。歴史教科書には、余計な感情・個々の人物に対する好悪善悪を植え付けることがあってはいけません。その代わり、私は資料集を充実させればよいと考えます。例えば、歴史教科書問題では、色々な人達の主張を掲載し、学生に考えてもらえるようなものにすべきではないでしょうか?
もしくは、教科書と資料集を統合し、分厚い教科書を作ってしまうのも手かも知れません。ただ、何故この方法がとりづらいかと言いますと、教科書の無償配布制があります。貧しい人にも教科書が行き渡るように・・・という趣旨で導入されている制度ですね。
ですが、私は敢えてこの制度の廃止を提言したいと思います。1つには、この制度が出来た時と比べて貧しい人が減ったこと。それから、教科書がタダでも資料集や問題集など、その他様々な物を買わされてしまうこと。ならば、ほとんど読んでも理解できないような教科書を無償で配るよりも、詳しい本にして安価で配った方が良いのではないでしょうか。
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3.何が事実か何て解らない |
歴史教科書問題で、特に問題とされているのが太平洋戦争に関する記述です。これについて、「自虐だ!」「いや、日本軍の蛮行はこの程度ではない」など決着のつかないような論争が繰り広げられています。実際、この問題は政治的な思惑でずいぶんかき乱されましたし、しかも人によって記憶は違う、被害者は被害を強調し、加害者は罪を否定する。こんなわけで、事実はどこにあるのかさっぱりわかりません。
大体、この問題に限らず歴史という分野は真実は1つでしょうが、「事実」は山ほど出てくる不思議な分野です。例えば、「慶安の御触書」。農民教化の御触書として、ごく当たり前の事実のように取り扱われてきましたが、近年ではもっと後になって発布されたものとして、「事実」では無くなりかけています。
そんなわけですから、政治的なものまで絡んでくる太平洋戦争問題は、もっと複雑です。ですから、例えば南京大虐殺。昔からその存在自体から虐殺人数まで、多数の説が存在していますが、20万人、いやもっと多くの人が殺された!という主張に対しては、「そんなに多くに人達が黙って殺されたはずがない。大体、日本軍にはそんなに武器弾薬はないはず」と疑い、ほとんど虐殺されていないという意見には「いや、目撃者も多く、証言者も多い。そんなはずはないだろう」と疑ってかかるべきです。
どっちが正しい、どれが正しい、そんなことは絶対にあり得ません。それを、他人の説を頭ごなしに否定するのは歴史の検証法を知らない無知な人達です。これは、何も日本の学者だけでなく、中国・朝鮮の学者にも言えます。
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4.歴史教育そのものを問い直す |
と、色々と述べてみましたが、私は太平洋戦争に関する記述問題は小さな問題と考えています。いや、これも大きな問題ですが、もっと大きな問題があります。それは、歴史教育そのものです。1つには、ゆとり教育の一環で中学校から世界史の記述が消え、タダでさえ少ない世界史ではありますが、中学校卒業後就職、という人達は自分から進んで勉強しない限り、「ローマ帝国」も「三国志」も、何も知らないまま一生を終えることになります。国際化社会に逆行する上、当たり前ですが、日本も世界の中で形成されてきたというのに、これではお話になりません。
それから、私立高校で顕著ですが、「日本史」「世界史」選択制問題があります。どっちか片方しか勉強せずに大学に進学する人が多い。その結果、特に日本史しか選択していない人は、政治学を始めとする授業についていけません。理科系だって、科学史が解らないまま現代科学だけを学習していく、または、世界史の大枠がわからないまま、科学に絞った事実だけを追って学習することになります。
ならば世界史を選択すればいいのかというとそうでもなく、日本人でありながら日本史が詳しく解らない。海外に行って日本の歴史について訊かれても、織田信長ぐらいしか解らない。というより、自分の郷土の歴史が中学校レベルでは本来、お話になりません(だからと言って、仏像の名前と、江戸時代の文学の作品名ばかり覚えさせる受験日本史もどうかと思いますが。
もう一つは、ほとんどの高校で大正デモクラシー、また世界史では第1次世界大戦前後で学習を終えてしまう実態があります。これは、1つには文部省が、一部教職員組合が「ゆとり」を狙って授業時間を削減したため、それから、先生達が第2次世界大戦に触れたがらない。そもそも、先生達にも、よく解っていない人もいます。解っている振りをして、実は小林よしのりの戦争論のパクリとか。(注:「それから〜」以降は、さすがに先生達を前には語っていません)
ともあれ、今の若い人達の歴史認識のなさ、さらに言うなら安易に「選択科目制」にしてしまったお陰で、歴史・科学両方とも一昔前に比べて知識量が減っています。これを、「詰め込み教育からの転換」などとお気楽に評価できますか?違います。前にも言いましたが、その最たる悪弊である仏像名の暗記などは、引き続き大学入試用に温存された上に、「考える上」で、必要となる知識量だけを削ってしまっているのです。
その結果、「勉強」が面白くない。しかも、教科書は単語ばかり。
毎年のように、それではいけないと「コラム」という形で、面白い一歩前に進んだ記述を載せようと教科書会社は努力しますが、そのたびに学習指導要領を越えていると、文部省・文部科学省に削減命令を受けています。これからは、容認するらしいですが、果たしてどこまで容認されるかは不明。官僚は、前例に反した仕事をされることを非常に嫌います。万が一それで問題が起きた場合に、誰が責任を取るのか考えるのが嫌なのです。
もう一つ、今の歴史教育は「政治的」「経済的」な問題からしか記述がなされておらず、本来私たちの生活を彩ってる身の回りのもの、すなわち「衣・食・住」。こういったものに関しては無視されているか、よくて文化の欄に文学と共に名前だけ記載されているだけ。取り敢えず、ドーリア式とか、イオリア式とか、ゴシック様式とか。言葉だけはおいておく。たしかに、すべて詳しく書いていたらきりがありませんが、それにしても少なすぎます。文学に至っては、特に顕著です。題名だけ書いておいても意味無いでしょう。
例えば、セルバンデスのドン・キホーテという作品がありますが、あれなんか没落する騎士と太陽の沈むスペイン、勃興するオランダを痛烈に皮肉った作品です。作品中に、ドン・キホーテが風車に突撃しますが、あれは新興国オランダに挑む保守国スペインを表しています。こういう背景も面白いんですが、教えないんですよね。タイトルだけ暗記させられてもねぇ。
中学校で無理でも、せめて高校ではきちんと教えられないものなのですか?教えなくても良いから、そういった記述を教科書・資料集に何故入れないのでしょう?
おかげでさまで、本来大切なはずの「文化史」は、暗記に面倒なものとして敬遠され、歴史が好きな人でも学習しようとしません。
と、この様に今の歴史教育には様々な問題をはらんでいます。全部を一度に解決するのは無理ですが、それにしても解決しようとしないばかりか、新しい歴史教科書問題に振り回されているようでは、どうしようもありません。
ついでに言うなら、新しい歴史教科書は、結局のところ「古い!」
さて、最後に一言。気にくわないグループから本が出たとして、それを論破しようと考えると、当然その本を買わなければいけません。すると、その本の売り上げに貢献することになり、「重版出来」とか、「ベストセラー」となり、有頂天にさせてしまう。そして、本を買ったその人達は、「こんな危険な本が売れるなんて、問題だ」と慌てる。何とも皮肉な話ですよね(会場、ここで大爆笑)。