裏辺研究所所長のちょっとだけ暴言・暴論 > 第16段棒

ネット上で、世の中の事象や歴史などを様々なことを解りやすく、詳しく紹介する裏辺所長。
そんな裏辺所長自身は何を考えているのか。世俗的なものから、政治・経済・歴史問題まで。
ちょっとだけ、裏辺所長が世の中をバッサリ切ります(なんて言いながら、切らないこともあります)

でも、裏辺所長の言うことを信じてはいけません。大切なのは、あなたがどう思うかです。

第17段   歴史上の有名人の子孫(5月6日’04)

 あまり意味のないこととは言え、歴史上の有名人の子孫がどうなっているのかを探すのは歴史マニアとしては結構楽しいのですが、皆さんは如何でしょう。意外なところで意外な子孫が活躍しているのですが、本日、思いがけない人を発見。

 テレビでよく見かける、元内閣安全保障室長の佐々淳行氏って、織田信長の重臣で、信長死後、羽柴(豊臣)秀吉と戦い、降伏するも、後に切腹&改易された佐々成政の子孫だったんですね。先日、佐々成政ゆかりの地である富山市で佐々成政記念館設立計画が持ち上がり、佐々淳行氏も一役買っているようです。
http://mytown.asahi.com/toyama/news02.asp?kiji=4483

 ちなみに折角なので、他の有名人の子孫をちょっと紹介してみますと。
 織田信長直系の子孫は、孫の織田秀信織田信忠の息子)が関ヶ原の戦いで西軍につき高野山で出家して断絶。弟の秀則は秀吉に仕えたあと、京都でひっそりと暮らしそのまま終わり。そのかわり、信長次男の織田信雄の子孫が色々と騒動を起こしつつ改易の危機に見舞われるも、最終的には山形の天童藩主、それから現・兵庫県の柏原(かいはら)藩主として残り明治維新まで存続。ただし、柏原藩の方は何人か他家から養子を迎えているので、どこまで織田信長の血が繋がっているかはちょっと不明。たいていは、血のつながりがある人物をもらうんですけどね。

 なお、明治維新時の天童藩主は、織田信敏。柏原藩主は織田信親

 お次に何となく気分で・・・。
 忠臣蔵でお馴染み、大石良雄(内蔵助)の子孫は、三男の大石良恭(大三郎)が跡を継ぎ、広島の浅野家(赤穂の浅野家の本家ね)に仕え、現在は大石内蔵助から11代目の大石浩史(ひろし)さんが奈良県庁に勤務(平成15年現在)。・・・奈良ですか!

 また全然何の関係もなく・・・。
 西郷隆盛の直系の孫、西郷吉之助は銀行マン、貴族院議員を経て戦後は参議院議員4期連続当選。自民党入りし、第2次佐藤内閣(第2次改造)では法務大臣に就任。しかし、その後トラブルに巻き込まれ政界を引退。なお、長男に吉太郎、次男に隆永などがいます。また、西郷吉之助の父親、すなわち隆盛の嫡男は西郷寅太郎。陸軍少佐などを務めた人物で、侯爵を授けられています。

 なお、第2次佐藤内閣(第1次改造)の時の科学技術庁長官が佐賀鍋島家の親類で鹿島藩佐賀家第十五代当主、鍋島直紹(昭和56年死去)。ちなみにこの時は中曽根康弘が運輸大臣、宮沢喜一が経済企画庁長官というのですから、この2人の年齢は凄いなあと思います。

 次に西郷隆盛の無二の友人であった大久保利通
 明治11年に暗殺されると、息子の大久保利和が跡を継ぎ、その跡は昭和3年に利和の弟・利武(としたけ)が相続。その息子が、大久保利謙(としあき)で東大文学部国史学科卒。国立国会図書館憲政資料室客員調査員、名古屋大教授、立教大学教授などを務め、1995年に没。著作は今でも本屋に行くと売っております。興味深いのは、徳川慶喜公回想談「昔夢会筆記」(編:渋沢栄一)の校訂をやっていることでしょうか。東洋文庫で発売中。わ〜お。

 ちなみにこの本は、徳川慶喜が「一般にはこう言われているけどね、事実は・・・」と渋沢栄一に語ったことをまとめた本です。
 徳川慶喜の子孫については、以前に歴史研究所で書きましたが、曾孫の徳川慶朝さんがフリーカメラマンとして活躍中なり〜。

 今度は一気に時代を古代に下げてみます。
 蘇我馬子と戦い敗北した物部氏ですが、天皇家の崇拝する石上神宮の祭司だったことも関係したのでしょう、ほとぼりが冷めるまで隠れていたらしく、壬申の乱の時に大海人皇子(のちの天武天皇)に、一族の朴井雄君(えのいのおきみ)と呼ばれる人物が加勢し、天武天皇のお気に入りに。朴井雄君は物部氏の氏上としての地位を確保。息子の物部忍勝(おしかつ)、金弓(かなゆみ)らの子孫は、その後、石上という姓を名乗り、貴族として存続。その中でも有名なのが、石上宅嗣。道鏡を信任したことで有名な孝謙天皇の死後、藤原永手らと光仁天皇を擁立。また、日本初の公開図書館「芸亭(うんてい、正しくは芸の字ではない)」を作っています。受験にたまにでるので注意!

 最後に、源頼朝の弟、範頼の子孫。
 範頼は可哀想なことに、義経と同様、兄の頼朝に殺されるの(自害する)ですが、その遺児である範円は助命され、一度僧侶になったあと、吉見為頼をなのり、歴史的に見ても名を残すでもなく、かといって消えるでもなくと言った感じで一族は存続。能登に在住したあと、今の島根県にある石見(いわみ)に移り、吉見正頼がゲーム「信長の野望」にも登場。のち、毛利氏に属し、準一族の待遇で江戸時代をおくったということです、ハイ。

 と、てけとーに手元にあった本類を参照に載せておきました。

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