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●でもまあ、よく書けると思いますよ |
何事にも評論家というのがいるわけで、何か事件が起きたり、新作の映画の公開、料理紹介などなど、あらゆる場面で登場。時には「そんなジャンルの評論家もいたのか!」と思うようなことさえあります。
ところが、例えば評論家が政治をやれば、上手く行くかと言えば、まさかそう言うわけにも行かず、そう思いますと評論というのは不思議な商売だと思います。
さらに不思議と言えば、ビートたけしが映画評論家・・・というか事実上、「おすぎ」について、こんな批判を展開。
「日本の映画評論家ほどバカヤローはいないよ。恥さらしなやつもいる。(中略)宣伝として金もらって、それで映画評論家だって言っているおかしいのもいる。何が『私は、この映画を見るために生まれてきた』だよ、まったく。それじゃ、それまでお前は一体何を見てきたんだって」。
いやはや、ごもっとも。
一方、ある政治評論家は「情報は得ないといけないが、政治家とは仲良くなりすぎてはいけない。批判を書きづらくなるから」と。政治家の場合、やはり「よく書かれたい」から、「こいつは」と目を付けた人間には、自宅に招待して料理を御馳走したり、色々便宜をはかったりするそうですね。評論家も、基本的には情報源と懇意にしておいた方が、他の人には得られない情報も入手できるわけ。なにしろ、情報が命です。情報もなく、ただ思ったことを述べているだけでは、裏辺所長とレベルは変わらないわけ。しかし・・・なのですねえ。
さてさて、評論家というのは、大変かつ不思議な商売だと思う次第。そんな私も、評論家を評論しているのであります。
殆ど評論になっていませんが。
しかし冒頭に書きましたが、読書感想文みたいなのが死ぬほど苦手な私にしてみれば、「おすぎ」が映画を褒めちぎるの、よくやるなと思いますよ。そんなに褒める言葉のボキャブラリーなんてないもん、私には。批判するのだっで、そんなに言葉の種類があるわけでない。こちらも同じです。