
第11回〜ああ、感動の裁判〜(2月22日’02)
最近官僚や裁判官の不祥事が相次ぐ中、久し振りに素敵な話を聞きました。こんな人、他には滅多にいないでしょうね…否、これが懸命に働いている「普通」の人の姿なのかも。
一年前、些細な理由で40代の男性に暴行を加え、死亡させた事件の犯人である、当時19歳の少年二人に対する判決が19日に下されました。 判決言い渡しの後裁判長はこんな事を言いました。
唐突だが、君達は(シンガーソングライターの)さだまさしの『償い』という曲を聴いたことがあるか?と。
『償い』は、交通事故で人を殺してしまった少年が、一生を賭けて罪を償います、と必死に働き、毎月遺族に仕送りをする、という歌詞の曲。せめて歌詞だけでもいいから、見ておきなさいよ、と裁判長の方は少年二人に言われたそうです。人を傷つけた、その償いは口先だけでできるものじゃない。歌詞を見れは、君達の償いの言葉が何故心を打たないか分かるだろう、と少年達を諭されたらしいです。
最近裁判の判決を見る度苦々しく感じる事が多かったが、この話を聞いた時は何か…人間らしさを感じましたね…因みににこの歌では、七年後に奥さんから「もう、
いいですよ」と許してもらえるのですが、現実ははてどうなるのか…
何より嬉しいのは裁判長が二人の更正を信じている、という事。そうでなければあんな言葉を二人にかけないでしょう。判決下してそれで終わり、これでは再犯も懸念されるのは当然。悲しいかなそれが今の裁判の主流。そんな中で新聞&ワイドショウで見た(聞いた)この話は、機械的
に仕事をこなす中で「人間味」に満ちた裁判として、類希なるものではないか、と思います。
さて、少年二人は果たして裁判長の温情を理解しているのでしょうか?
| これに対して所長の見解(2/27) |
八十八舞太郎所員は、こういった美談に感動する傾向がありますね〜。もちろん、それはよいのですが、だからといってこういった裁判さえすればよいというのは問題だと私は思います。あ、もちろんこの裁判長については別段非難するつもりはありません。非難すべきはマスコミなのです。
と、いうのもこの事件に関してマスコミの中には「六法全書にないすばらしい裁判」などと評するものがあります。特にTBS。と、いうことは裁判官は今後、判決に自分の好きな詩を書かなければならなくなるのでしょうか。詩に限らず、判決の一つ一つに説諭が登場するようになったらおしまいです。マスコミは、田中真紀子の時もそうですが何事にもすぐにドラマを作り、物の本質を見誤ることが多い。今回の判決はさておき、このコーナーをごらんの皆様には、くれぐれもマスコミのお涙ちょうだい作戦に騙されないようにと言いたいと思います。
ちなみに八十八所員が「何より嬉しいのは裁判長が二人の更正を信じている」と書いています。そうだね、更正を信じていないで判決を書かれるのはイヤだね。でも、現実は厳しい。う〜む。まさに、少年2人よ、裁判官の温情を理解したまえ!ちなみに、私ならこういいたい。
「どんなに厳しい罰を与えても、かならず少年は戻ってくる。その時に少年が笑って過ごせる場を与えられるのが裁判官の仕事」
昔はやった「家裁の人」という漫画にあった言葉です。こういった言葉は冷淡に見る私ですが、珍しく感動した言葉。ただ無情に厳罰を少年に与えたり、どこかの雑誌みたいに興味本位で「社会正義」を振りかざしながら少年の実名をバラすのはいただけない。
ただし、少年にじっくり考える時間を与えるという意味での厳罰は必要です。ほとんどの少年が再犯している状況を見るとねえ・・。
にしても、マスコミは嫌いだ。少なくとも、ワイドショーだけは見ないようにしましょう。あれは、ほとんど事件にドラマばかり作って、また一方で人の批判ばかりしていますからねえ。あと、関口宏のサンデーモーニング。週間ご意見番以外つまらないですね。朝やっているワイドショーと変わらないよ。無条件に田中真紀子支持だし。彼女の功罪両面を見ていただきたいものですな!って、いろいろな方向に分かれてしまった、話が。
あ、それと裁判を批判する場合、法律と判例の意味を良く読んでから批判しましょう。ね、TBSとテレビ朝日!感情だけでいちゃモンつけるんじゃねえ!!・・・失礼。