古き良き伝統を無視してはいけない、というのは私でも知っています、でも、あまり過去に縛られ過ぎるのも困りもの。
日本人というのは、過去にこだわることが多い種族なのでしょうか。確かにまあ、忘れてはいけない過去をたくさん経験していますけどね。それらを差し引いても、どうでもいいようなことに固執している気がしてならない。(そうかな? 水に流すという言葉があるように,結構忘れやすい気がしますが by所長)
ここまで書いた(タイプした)時、ふと頭によぎる事があった。ちょうどニュータイプでよくある「キュピーン」ってヤツ。実は隠れNT(ニュータイプ)だったりして(レペルは5〜7くらい…やたっ。ファンネル使える!)…
今日は巨人業阪神戦。今日も確か巨人が勝った、毛先ほどは期待してたが、やはり今年も定位置かよ阪神…しっかりしろ野村。パース帰ってこ一いヨ。
巨人も阪神も共に古くからある伝統あるチームである。巨人なんて、日本最初のチームなのにまだ残っているとは、ゴキブリみたいにしぶといと言うか何と言うか…。
片方は攻撃、もう片方は守備をメインとしたチームである。が、両方にはある共通点がある、と思う。文句があるヤツ、裏辺研究所まで来い。巨人と阪神、一緒にするなと思ってるヤツ、しばし我慢していただきたい。
どうしてもこの両チーム、「絶対勝たなくてはならない」という脅迫概念があるような気がするのだが。前者はV9時代(あの頃は純粋に強かった…今はなんだ?)、後者は掛布、バース、田淵時代(だからバース帰ってきて一ゆちなみに彼は現在、農場を経営しているそうです)、あの頃に輝り固まっているみたいな気がする鐵確かに勝つのは大切だけど、だからといって大金使って他チームの主力を金で横取りしたり、負けたからといってメガホン投ぼ込んだり、果ては相手チームにケンカ吹っ掛けては駄目ですよ。
大体も野球というスポーツ自体、固定概念にこだわりすぎてるのよね。二番バッターはバントが出来なくてはいけない匁一番パッターは出塁率が良くて足が早くないといけない聾その他…そりゃあそうしたら勝つ確率は高くなるでしょう。でも,そんなことばっかりしてて何が面白いのだろうか。たまには全員俊足ランナーで、長打は出なくてもゴキブリかネズミみたいに足で駆け回るとか、全員長距離砲台で三振かホームランだけ、ってのもいいんじゃないか?そんなチームが1つや2ついるから野球はいいんだよ。
私が現在注目しているのは、日本ハムの小笠原という選手。彼は2番バッターだが、なんと「バントが全く出来ない」2番なのである、そこで彼は何をしているか。
振るのである。しかも普通のスイングなく、フルスイングでいくのだ、相手が真っすぐ投ぽてこようが変化球投げてこようが、速球だろうがスローボールだろうが、とにかく振るのである準これが意外によく当たるもので、現在打率は3割を保っている(6月始めのことなので、変動している場合あり)獅去年のオールスターは凄かった毒小笠原対これまた豪速球一本のヤクルト、五十嵐僻片方は全力投球亀片方は全力スイング。結果はヘルメットを吹っ飛ばして三振でした。固定概念を打ち破るのには箪確かに大きなリスクを伴うだろう。要所でパントが出来なかったら勝てないかもしれない。だが,変化のない生活をずっと続けて何が楽しいのだろうか。遇去の価値観を変え,新しい価値観に生きる、これが恐いのなら一生同じ考え方で、ずっと同じことをして過ごすがいい。もっとも、同じ事の繰り返しで飽きないのであれば、であるが。乗り換えた道が問違っているのなら、後に戻ればいい。過去とはそのためのもの。
実は私、こう見えても中学校3年間は堅物で通ってきました、何が私の価値観を変えたか。一つは、我が下僕である水澄風流(みすみかざる)、彼が貸してくれたマンガ(これが私がマンガを初めて読んだ記念すべき瞬間である)は、私の精神を暴走状態にさせ、中学校来の友達に「お前、豹変したな」とか言われ続ける原因になったのです。素晴らしい経験をありがとう。後で始末しにいく。首洗って待っておれ。
第二に我が尊敬すべきマスター、氷川雨水准将。長崎行っても頑張って。
第三に、長島茂雄現読売巨人軍監督親子・みのもんた・古館伊知郎の後輩である裏辺金好所長(つまり,立教大学法学部の人間なのだ)。彼は未だ、ジンバブエ国民総所員化という壮大な計画を考えているとかいないとか。人が変わるきっかけというのは彼方此方に転がっているのだから、のんぴり長い目で見ていきましょう。
とはいえ、私もどちらかといえば伝統を重んじ,頑固で融通の効かないタイプ華あんなに醤っておいてもこのオチ。言うこととやることが全く逆。どうしてくれようこの性格、
そんなことはまあよい。どうでもいいから阪神、1位という無理は言わない、ぜめて4位、できればAクラスにはなってくれi!そして頑張れ日ハム、頑張れ小笠原! 負けるなロッテ!
(猶、ここの文章は、皐月に行なわれた第45回裏辺研究所定期考査・日本史の拝答欄に、所内における研究の感想等を書けとあったので、自らの伝統に関する見解を語ったものを基に加筆修正したものである)
ましてや、それが中途半端に経験を積んだものなら尚更である、生半可な知識は知らないことより恐ろしい。
知らなかったら行動を起こさないからね。中途半端に知識を持つ者が一番アテになりません(そ,それはまろのことでは by所長)。ただ、プロでも贔屓の引き倒しのような解説は気に喰わない。
知らないことは悪いことではない、それを知ってるように見ぜ掛けて話すのが、一番嫌われるタイプなのです響自分の知っている範囲で、自分の知っていることを,自分の言葉で話せばいいのだ。
ここまで書いておきながら、実は私も結携見栄っぱり。ど一でもいい知識,中でも漢字の読み仮名はいらないものぱかり習得してしまった。性格には逆らえませんね、ふう。
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