3.北京:鼓楼周辺の古い街並みと毛主席故居など

 鉄道博物館を見終わり、今度はバスに乗って移動。ご覧のようにバスは非常に年季が入っており、まるで鉄道博物館の続きのようです。しかし・・・。

 中国という国は古いものが大事に使われていたかと思うと、新しいものが信じられないくらい雑に扱われていたり質が悪いのかすぐぼろぼろの古い状態になることがままあります。

 前ページ最後と、左写真の二連式のバスは確かに社会主義式の古い世代のものなんですが、多分15年のモデルでそれほど古いものではないものだと思います、とムスタファさんの解説です。

 ところで北京について少し。
 北京は言わずと知れた中華人民共和国の首都にして中国の政治、文化、交通の中心地。上海(シャンハイ)、天津(ティエンチン)、重慶(チョンチン)とともに中央政府の直轄市となっております。

 人口は北京市本体で約1000万人。行政区としての北京全域では1122万人という、超巨大都市です。
 歴史を解説しますと、北京原人の存在によって500万年前には人が住んでいたと思われ、古代中国・戦国時代に燕という有力国が、「薊城」という都を置きます。さらに936年、遼と言う国がの副都を置き、南京(燕京)と改称します。南京というのは、いわゆる南京虐殺の南京とは違いますよ。

 さらに1153年、中国北部を支配することになった金が都をここに遷都し、「中都」と改称。
 それを倒したモンゴル帝国&元は、フビライ=ハンが1264年に都をここに移して大都と命名します。これによって初めて、この地が中国全体の首都になります。そして明が成立し、これによって元が倒されると、都が南京に移り、大都は北平に改称されます。しかし、明の第3代皇帝の永楽帝は1421年、北平に都を移します。この時、名前が北京(順天府)となりました。

 そして、明が倒されると清という満州族の政権が中国を支配。北京をそのまま都にします。そして清が滅び、中華民国が成立すると初期は北京が都でしたが、1928年には名称を北平と改称し、都も1927〜49年には南京に移ります。しかし、1949年10月1日、政権を取った毛沢東率いる中国共産党政権は北平を北京と改称し、ここを首都にし今に至っています。


酒仙橋路と酒仙橋北路との交差点
 何気ない中国の街角・・・と思いきや、ここにもマンション化の波が押し寄せてきているようです。

張旺胡同
 このエリアは古い街並みが残っています。

趙府街
 このエリアは古い街並みが残っています。

豆腐池胡同の毛主席故居
 ムスタファさん曰く、1918年に毛沢東が居候していた普通の民家です。因みに毛沢東の家は、清の康煕年間につくられた豊沢園と呼ばれる庭園跡にもあり、そこの菊家書屋は主席時代に住居として利用した中南海の中にあるもっと立派な建物で、中南海のエリア自体に下々は入れないので見学不可です。毛沢東は北京大学の図書館の司書時代に他にも市内中心部に居候した家があるそうですが未確認。
 これとは別に、双清別墅と呼ばれる「毛沢東旧居」もあります。解放戦争末期の1949年3月、北京に入った毛沢東が最初の住居をおいた場所です。香山公園内にあるとか。

北京ダックと清炒蝦仁
 腹ごしらえ。

ダックをあぶる炉
 ここから絶品が生み出されます。