
入り口付近
写真西側が瀋陽故宮。
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風景
瀋陽故宮西端の風景。
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大清門
故宮への入り口。ホンタイジ時代の建築です。
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崇政殿
大清門をくぐると、まず見えるのが崇政殿。故宮の正殿で、外国からの使者の接見がここで行われました。
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翔風閣
元々は崇政殿の北にありましたが、1743(乾隆8)年に、乾隆帝が巡幸したときに、崇政殿の南西部に移築されました。右上の写真の、すぐ左の位置ですね。
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飛尤閣
翔風閣と対になる場所にある建物。やはり、同時期に移築されてきたものです。
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崇政殿
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門
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日貨楼
1746(乾隆11)年〜1748(乾隆13)年にかけて建築されたもの。宮殿内で使われる品物を保管していました。崇政殿の直ぐ北側に位置。
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霞綺楼
1746(乾隆11)年〜1748(乾隆13)年にかけて建築されたもの。こちらも、宮殿内で使われる品物を保管され、日貨楼とは向かいあっています。
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鳳凰楼
そして、崇政殿の北にそびえ立つ故宮で最も高い建物。太宗ことホンタイジ時代の1627〜35年に建築され、盛京八景の1つだとか。
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鳳凰堂の額
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宮(1)
日本語で何と表記するのか解らないので、宮(1)としておきます(笑)。これを含めて鳳凰楼の北、皇后が住む清寧宮の南側に左右に2つずつ
清寧宮
麟趾宮 宮(2)
永福宮 宮(1)
と、並んでいる寝室群で、ホンタイジの皇后と妃たちが、それぞれ使ってました。
上写真は、鳳凰楼の北東のもの。
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宮(1)内部
ここはホンタイジの妃の1人である、淑妃がいた場所。淑妃は、モンゴルの一部族である何とかの、何とか・・・の娘らしいです(・・・スミマセン、訳せません)。
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宮(1)内部
双方の列車がクロス。
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宮(2)
(1)の北側の建物。
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宮(2)
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宮(2)
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清寧宮
ホンタイジの皇后である、和皇后がいたところ。建築様式は、満州族の伝統住宅だとか。
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清寧宮内部
さすが、皇后用だけあって豪華です。
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麟趾宮
宮(2)の向かい側の建物。ホンタイジの妃の一人、モンゴルの何とか王の娘である貴妃の寝室らしいです。
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麟趾宮内部
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永福宮
ホンタイジの妃の1人である、庄妃が住んでいた場所。
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永福宮
屋根も非常に美しい雰囲気。彫刻等も施されています。
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東七間楼
場所はまた、崇政殿のある場所へ戻ります。1746(乾隆11)年〜1748(乾隆13)年に改築されました。
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東所
崇政殿東にある門。1746(乾隆11)年〜1748(乾隆13)年に建築されました。
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頤和殿
1746(乾隆11)年〜1748(乾隆13)年築。皇太后用の建物らしいです。
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太政殿とその周辺
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頤和殿
1746(乾隆11)年〜1748(乾隆13)年築。皇太后用の建物らしいです。
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頤和殿内部
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左翼王亭
左翼王の執務室。
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左翼王亭内部
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金代大鐘
金の時代に造られた鐘・・・だったとおもいます。
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元時代の石碑
モンゴル系の王朝である元が、支配していた頃の石碑で、瀋陽の名前が記録されているものとして貴重。
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太政殿
故宮の中で最も初めに造られたもの。
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太政殿より
こう、両手を斜めに挙げて式典を挙行している雰囲気を味わいたくなります。残念ながら、誰も私には注目してくれませんでしたが。
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太政殿内部
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城壁
故宮を出ると城壁が見えます。
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旧、満鉄奉天公所(現、瀋陽市図書館)
1924年築。満鉄が中国側と交渉するために使っていた建物で、日本が建設したにもかかわらず、敢えて中国風のデザインにしました。故宮に近いため、景観を考えたとのことです。そういう配慮がある人が多ければ・・・。
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