
帥府舞庁(帥府弁事処)
ダンスホールを備えていた建物。客人を接待するために使われたもので、2階まで吹き抜けだそうです。
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紅楼(現、遼寧省文化庁)
西院内の建物で、柳条湖事件の後に完成したもの。
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中院正門
日本の邸宅にもよくあるパターンですが、張作霖親子も洋館とは別に中国伝統様式の三進四号院というタイプの建物に居住し、政務も行っていました。執務室のほか、張作霖の第2夫人や第4夫人の住居もあります。
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中院
中院の建物では、張作霖と張学良等の息子たちに関する展示が行われています。特に張学良の弟2人は中国共産党で大活躍していたこともあって、軍閥でありながらも張作霖一族は比較的肯定的な記述内容となっています。
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関帝廟
敷地の東北部にあるもので、関羽を祀ってます。
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小青楼
1918年築。張作霖が第五夫人の寿懿のために建てさせた2階建てのレンガ建築。1階は西側が客間で、東側が寝室。2階は張作霖の娘たち(寿懿との子ではない)が住んでいました。なお、寿懿は張作霖との間に、張学森、張学俊など4人の息子を産んでいます。
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趙一萩故居(趙四小姐楼)
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煉瓦造りの工場?
金融資料館の北側にある煉瓦造りの工場(・・・だと思う)。
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旧、辺業銀行(現、金融資料館)
張作霖、張学良が設立した銀行で、邸宅の東端にあります。朝陽街という大きな通りに面した立地条件の良い場所。2006年から金融資料館として利用されており、玄関を入ると1920年代の窓口を再現した光景に出会います。人々も蝋人形で再現されているため、まさにタイムスリップした雰囲気。また、後方の煉瓦造りの建物は中華人民共和国の歴代紙幣など膨大な金融資料に、もちろん銀行の仕組みなどを紹介しており、見ごたえ十分。
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旧、辺業銀行(現、金融資料館)
横に写っている煉瓦造りの建物が金融資料館。奥に暗く見えるのが一番最初に紹介した帥府舞庁。金融資料館は迷路のごとく順路が入り組んでおり、入ったが最後、出口が延々と見当たらない・・・。
数多くいる警備員は基本的にムスッとして我々を監視していましたが、一人だけ非常に気さくに話しかけてくださる方がおり、「これは超貴重な紙幣なんだよ〜」など、いろいろと展示物の話をしてくださいました。帰りの列車までの時間が僅かな我々としては「嬉しいんだけど、出口もわからないし、早く解放してくれ」状態でしたが。でも、おかげさまで金融資料館について良い思い出が出来ました。
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瀋陽駅前
瀋陽駅前の風景。
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旧、奉天郵便局(現、太原街郵政局)
煉瓦造りの瀋陽駅と相性バッチリの、隣接する近代建築。
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車窓
それではいよいよ、再び大連にむけて戻ります。列車に乗り遅れそうになるというハプニングもありましたが・・・。危ない危ない。
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車窓
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車窓
奥に見える山のようなものが、凄い形をしてます。
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車内
瀋陽に行くときは大混雑状態で、死ぬかと思いましたが、今度は空いており、ぐっすりと座席で睡眠しました。
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車内
時刻表が掲載されていますが、なぜか東北・上越新幹線の200系(しかも100系タイプの後期型)。
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大連駅ホーム
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大連駅地下通路にて
広告には秋田新幹線のE3系「こまち」が広告に利用されていました。
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大連夜景
ビルの照明が非常に凝っています。日本でこれをやると、景観を損ねるなど、大ブーイングでしょうが、キレイですね。
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旧、三越百貨店大連支店(現、秋林女店)
1937年築。同時期に大連駅が移転開業してきたこともあり、駅前として大いに周囲が発展するきっかけとなりました。
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近代建築
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旧、西広場(現、友好広場)
真ん中の球体の何かが、非常に特徴的。
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旧、西広場(現、友好広場)
色も変わって、これがよく目立ちます。
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旧、横浜正金銀行大連支店(現、中国銀行大連支店)
中山広場の近代建築の夜景を見に行きました。こちらもライトアップがすごいもんです。
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旧、横浜正金銀行大連支店(現、中国銀行大連支店)
背後の中国銀行の高層ビルは色々と変化!
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旧、横浜正金銀行大連支店(現、中国銀行大連支店)
いやはや、よくやりますね〜。
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旧、ヤマトホテル(現、大連賓館)
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旧、ヤマトホテル(現、大連賓館)
内部を撮影させていただきました。
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