(1)リスボン:サン・ロッケ教会とコルメシオ広場など


○解説

 2015年4月19日〜22日に秩父路号所員が訪問したポルトガル。首都であるリスボン、北部の大都市であるポルトの風景を御紹介していきます。前者はリスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔、後者はポルト歴史地区として世界遺産に指定されており、大航海時代の繁栄を今に伝えています。
 まずは、リスボンの風景から数回に分けてご紹介しましょう。上写真はリスボン空港到着時の風景です。手前に見える橋は、リスボンとテージョ川対岸のアルマダとを結ぶ4月25日橋。長さ2,277mの吊り橋で、1966年に開通。瀬戸大橋のように、上段が道路、下段が複線の鉄道という構造になっています。

○リスボンの場所



○風景


パルク・エドワードVII(エドワード7世公園)を手前にリスボンを見下ろした風景。(飛行機内撮影)

同じく機内からのリスボンの風景。



レスタウラドーレス広場
レスタウラドーレスとは「復興者」という意味。ポルトガル王政復古戦争(1640〜68年)によって、同君連合を組んでいたスペインからの独立を果たしたこと記念した、高さ30mのオベリスクが建っています。


フォス宮 Palacio Foz
レスタウラドーレス広場に接するこの建物は、現在は観光案内所等に使われています。


ケーブルカー
リスボンには3路線のケーブルカーがあり、坂の上下を結んでいます。こちらは、レスタウラドーレス広場近くを発着する、グロリア線(エレバドール・ダ・グロリア)の車両です。



ケーブルカー



サン・ロッケ教会
 こちらはカミーニョス・デ・フェーロ・ド・ロシオ駅近くにあるイエズス会の教会。原形となる礼拝堂は16世紀初頭に建てられ、イエズス会が所有するにあたって改築。1565年から1587年にかけて簡素なマニエリスム様式で建造され、1584年には天正遣欧少年使節(九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマに派遣された使節団)のリスボンにおける宿舎として使われました。


サン・ロッケ教会
その後、内装が絢爛豪華に飾り付けられた結果、このような状態に!


サン・ロッケ教会



カルモ教会(カルモ修道院)
1389年から1423年にかけて建てられたものですが、1755年のリスボン地震で崩壊し、そのままとなっています。

サンタジュスタのエレベーター
1902年築。カルモ通りにある高さ45mのエレベーター(リフト)で、ラウル・メスニエル・デ・ポンサルドの設計です。



サンタジュスタのエレベーター



サンタジュスタのエレベーターからの眺め
ご覧のとおりの絶景で、観光名所として人気があります。

サンタジュスタのエレベーターから見たカルモ教会(カルモ修道院)

バイシャ地区の風景

コメルシオ広場
貿易広場という意味で、1755年のリスボン地震の後にリベイラ宮殿を取り払い、広場が整備。周辺には政府庁舎や貿易関係の建物が建ち並びました。中央にはマシャド・ダ・カストロ作、ジョゼ1世騎馬像があります。ジョセ1世(1714〜77年)はポルトガル王で、彼の時代にリスボン地震が発生。政治にはあまり関心を示しませんでしたが、ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョ(1699〜1782年)を重用し、独裁的権限を与えてポルトガルの発展に尽力させています。



コメルシオ広場
アウグスタ通りとコメルシオ広場の交差部分には目を引くアーチが。また路面電車も新旧入り乱れて走行しています。




路面電車



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