(8)コロッセオ

翌日はまず、地下鉄B線に乗ってコロッセオ駅で下車します。ヨーロッパは電車などに落書きが多いのでお馴染みですが、この車両は特に酷い・・・。もはや、こういう塗装なのか?と思ってしまうほど。

 本来の塗装はこれ。それでも少し落書きがありますが・・・。

 ちなみにA線と同じ新型の車両も走っていました。が、既に白い車体の汚れが目立ち、これですら新型とはあまり見えない。

 さて、コロッセオ駅で下車。さすが観光地だけあって、改札前の売店もある程度充実しています。イタリアはイギリスやフランスと違って、エキナカビジネスでしっかり利益を上げようとしていますね。


 駅の目の前がコロッセオ!おおおおおお!!ついに来ました。
 もちろん前日のサン・ピエロと大聖堂なども感動しましたが、私は今回、コロッセオが一番です。大きいですねえ。

近くに高台へ上る道があったので、そこからもう1枚。

 あとで行きますが、コロッセオの向かい側が古代ローマ帝国の政治の中心、フォロ・ロマーノ。目の前に見える建物は、312年の完成したマクセンティウスのバシリカ。

 バシリカとは、長方形の平面を持ち、内部にクリアストーリ(採光用の高窓)と列柱のアーケードを持つ建築様式で、後にはローマ教皇発行の教皇小書簡で、一般の教会堂より上位であると認められた教会堂も、バシリカと呼ばれるようになりました。そんなわけで、古代ローマにおけるバシリカと、教会におけるバシリカは若干意味合いが異なります。

 さて、コロッセオに再び接近。今でこそ、このような変わった形をしており、「この建物って2階建て?3階建て?4階建て?」という感じですが・・・。

 ネロ帝の黄金宮殿(ドムス・アウレア)の人工池があった場所に、約8年の歳月をかけて、80年に完成したときの姿はこんな感じでした。一周がすべて同じ形で、白大理石で覆われていたのですが、後世に建設資材として持ちされれた結果、現在のような姿になったのです。ちなみにこの図面で言えば、奥が現在のコロッセオ駅。

 また、左上の大きな人物像は、ネロ帝像。金メッキを施した巨大なブロンズ像(コロッスス)で、コロッセオの語源になったとも云われます。

 コロッセオが出来る前の、ネロ帝の黄金宮殿(ドムス・アウレア)があったころの姿。この池の部分に、コロッセオが造られたんですね。

 また、こちらは別の復元図。

 さらに別の角度から。復元図で言えば、左下方向からコロッセオを眺めています。

 復元図の左下にも見えますが、コロッセオの北西に建つのがコンスタンティヌスの凱旋門。315年、コンスタンティヌス帝によって建造されたもので、高さは25m。コンスタンティヌス帝が皇位を巡り、マクセンティウス帝とローマ北端のムルヴィウス(ミルヴィオ橋)で戦い、これに勝利したことを記念したものです。

 立派な凱旋門ですが、既にこの時代にはローマの没落は始まり、建築資材も不足。装飾も一部は他の建造物から剥ぎ取られて付けられました。ちなみに、最初の方で紹介したマクセンティウスのバシリカは、コンスタンティヌス帝時代に完成しています。

 また、コンスンタンティヌスは313年にはミラノ勅令を発布し、キリスト教を保護したほか、今のトルコにあるイスタンブールに、ビュザンティオンに遷都してこれを「ノウァ・ローマ(新ローマ)」と名づけています。後に、コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)と呼ばれています。

 さて、いよいよコロッセオに入っていきますよ〜。

 朝早くからこの長蛇の列!そんな時は、必殺の「ローマ・パス」でした。別の並び口があって、あっという間に入ることが出来ました。恐るべし!恐るべし!

 どん!

 どどん!
 アリーナの下に広がるゴツゴツとした不思議な地下空間が見えます。地下には動物の檻などもあり、昇降機を使って猛獣や、模造の森、丘など、様々な舞台セットをアリーナまで運びました。なお、当時はこんな空間が見えていたわけではなく、取り外し可能な板張りの床で覆われていました。そして、1日に何度も決闘が行われ、血で床が染まるたびに、新しい砂がまかれたそうです。

 こちらが当時の復元図。血なまぐさいのは勘弁ですが、ローマの高い土木技術が見て取れます。

 観客席はこのような感じだったようで、時には観客どうしてケンカもしていたようですね。


 こちらはコロッセオの内側の1階部分の通路。


 そしてアリーナの上にやってまいりました。

 ちなみにコロッセオの一部は博物館になっており、様々な展示があります。こちらは、古代ギリシアの医者として著名なヒポクラテス(前460〜前370年ごろ)の胸像。ヒポクラテスは、迷信や呪術から医学を切り離し、医学を経験科学へと発展させたことから、医学の父とも呼ばれています。

 こちらはセプティミウス・セウェルス帝(位193〜211年)の胸像。200年ごろに造られたようです。
 彼はレプティス・マグナという、現在のリビアの首都トリポリの東130kmにあった都市で生まれ(*ちなみに遺跡は世界遺産)、ローマ帝国の内乱を終結させ、皇帝に即位。セウェルス朝を創始しました。


 さて、再びコロッセオの様子を見て行きましょう。
 一部は蓋がされており、どうやら団体客など、一部のお客さんはここに出ることが出来るようです。

 コロッセオの完成イベント(こけら落とし)では、ティトゥス帝の闘技会が開催。ローマでは紀元前3世紀頃から、剣闘士の試合が市民の娯楽となっており、相手は時には猛獣だったりするのですが、この闘技会では何と2000人もの剣闘士と、5000頭を超える動物が命を落としたそうです。

 ちなみに敗北した剣闘士(生きている場合)は手を上げて慈悲を来い、観客達が「勇敢だった!」と右手の親指を上に立てると命が助けられ、「ダメ!」となれば親指は下を向けられ、勝者によって喉が切られて絶命しました。剣闘士の多くは、奴隷、捕虜、罪人に訓練を施したものです。

 そんな残酷な(?)観客席は多くが失われており、内部が露出していますね。しかし、現在の東京ドームなどと基本的な構造は変わらないことに驚かされます。

 コロッセオからは、フォロ・ロマーノが良く見えます。これも後で訪問しなければなりません。

 コンスタンティヌスの凱旋門が良く見えます。現在も凱旋門の前は、大きな道路が通っています。

 さて、コロッセオを出ました。

 ここで、次にどの場所へ行こうか少々迷走しておりましたら、コロッセオの脇を路面電車(LRT)が走っていることを発見。こちらは昨日も遭遇したCityway 1。9100番台の車両です。

 それからCityway 2にも出会います。こちらは車両番号9200番台の車両です。

 ローマでも着々と路面電車が復権しているようです。


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