(13)パンテオンとトレヴィの泉


さて、今度はヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂まで戻って、さらに北側へ向かいます。

 手持ちのガイドブックには名前しか載っていませんでしたが、やけに多くの人が訪れている教会があったので行ってみました。ジェズ教会というもので、かつてイエズス会の本拠地(母教会)だった教会です。1568年、ジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラの設計で着工が始まりました。

 さすが元・イエズス会の本拠地。内装の絢爛豪華さたるや、群を抜いています。

 何より凄いのが、天井画。ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリの「Triumph of the Name of Jesus(イエスの御名の勝利)」という作品で、どこまでが絵で、どこまでが彫刻なのか解らなくなるほど。壮大かつ、3Dのような作品ですね。

 その近くにあるのが、古代ローマの遺跡であるトッレ・アルジェンティーナ広場(アレア・サクラ)。現地解説板によると、なんと紀元前44年3月15日、この場所でユリウス・カエサルが暗殺されたのだそうです!いやはや、全然知りませんでした。具体的な場所は、写真の右奥のようです。

 こちらが発掘された場所の範囲。@がカエサル暗殺現場です。

 そんな古代ローマの遺跡の脇は、最新鋭の路面電車が発着。アルストム社製のCityway 2形が行き交います。一般の鉄道線の車両や、地下鉄への落書きはやりたい放題のローマ(・・・というかイタリア)なのですが、不思議と路面電車とバスは綺麗なのは、手入れをする頻度が違うのでしょうか?

 周囲の風景を。

 さあ、パンテオンに到着しました。ここは元々、紀元前25年に初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造された神殿で、パンテオンとは「すべての神々の神殿」を意味します。80年に焼失したため、118年から128年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建されたものです。再建後もアグリッパへの敬意をこめて、その名前が正面に記されているのがよく分かりますね。

 608年頃に、キリスト教の聖堂となったことから、そのまま使用され続け、今でも完全な姿で残っているのは驚くべきことです。また、形状が非常に特徴的で、直径とドーム頂上までの高さが、ともに43.3m。鉄筋を用いない石造建築としては世界最大で、ローマの高い土木技術を遺憾なく現代に示しています。また、正面のオベリスクはイシス神殿にあったものです。

 正面をアップで。ご覧のとおり、人の数が凄い!内部に入ると、キャパシティが大きいこともあって、そこまで人が多いとは感じませんでしたが・・・。

 横から見るとこんな感じ。

 こちらはドーム天井の様子。この天井窓が、内部を唯一、自然光で照らしています。

 内部の様子。7箇所の礼拝堂が設けられ、うち1箇所がラファエロの墓廟とのことですが、よく分かりませんでした。

 壁面を見ていますと、やはりローマ時代だなと思われる古い雰囲気。

 続いて東に歩き、トレヴィの泉に向かいますが、途中に旧イエズス会ローマ学寮というのがあったので、内部に入ってみます。


 いやはや、これも非常に絢爛豪華。ガイドブックには名前しか載っていませんでしたが、見ないと損。


 一々、この程度で感動しているとキリがないのかもしれませんが、彫刻の細かさ、絵画の美しさ、どれを取っても一級品。


 イエズス会の財力を見せ付けられている感じです。


 天井画もご覧のとおり。まあ・・・とにかく凄い。


 見上げて見とれておりますと、首が痛くなりそうです。


 そして、かの有名なトレヴィの泉に到着しました。
 元々は初代ローマ皇帝アウグストゥスが、ヴィルゴ水道終端の人口の泉として造らせたものを発祥とし、現在の泉は教皇クレメンス12世の命によりローマの建築家ニコラ・サルヴィの設計で改造させ、彼の没した後の1762年に完成しました。


 世界的な観光地だけあって、人の数はこの状態。というか、周辺はこんな雰囲気だったんですね。


 別角度から。


 中央に水を司るネプトゥーヌス(ポセイドン)、左に豊饒の女神ケレース(デーメーテール)、右に健康の女神サルース(ヒュギエイア)が並んでいます。


 もう1枚。


 後ろの建物はポーリ宮殿というそうで、この宮殿の壁と一体となったデザインが印象的です。


 馬車もいました。


 さて、南下してヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂に向かって歩き出します。


 旅行の順番としては、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂周辺を見たり、フォロ・ロマーノを改めて眺めたりしましたが、順番を無視して既に掲載しているので、こちらでは省略。これで、ローマ2日目は終わりまして、次はナポリとポンペイに向かいます!

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