(17)12月30日:ポンペイ遺跡その1

 続いてヴェスピオ周遊鉄道でポンペイ・ヴィッラ・ディ・ミステリ駅へ。

 駅の目の前にポンペイ遺跡が広がっています。・・・な、なんて広大なんだ!!
 エルコラーノだけでも非常に感動しましたが、その感動を吹き飛ばすほどの規模です。しかし、今私の目の前に見えている光景は、ポンペイの中でも一部だということは、この後に嫌というほど思い知らされます。

 とりあえず全体マップはこちら。これだけでも、その凄まじさがご理解いただけると思います。

 それでは、遺跡の中に入っていきましょう。1997年に世界遺産に登録されたポンペイは、ヴェスヴィォ山の麓に広がっていた古代都市の遺跡。元々は紀元前600年ごろイタリア先住の山岳民族オスク人が建設したもので、後にサムニウム人の支配下に。さらに紀元前89年、独裁者スッラ率いるローマの植民地となり、これ以後はローマの貴族のリゾート地、そしてサルノ川の河口にある港町として、交易拠点となり発展しました。

 ところが紀元後62年の大地震で甚大な被害を受けたばかりか、79年8月24日にヴェスヴィォ山が噴火し、降り続く火山灰によって翌日には町は地中に埋もれてしまいました。約2万人以上いたと推定される人のうち、2000人が死亡。その多くは噴火に伴う高温の火砕サージによって亡くなったと考えられています。

 そして長き眠りを経て、1748年に再発見された後に19世紀から本格的な発掘調査が開始され、現在は8割程度が終わったところ。亡くなった方々には大変恐縮ですが、街全体が丸ごと地中に埋まったことから、街路や建物から小道具まで、街を構成する様々な遺物が大量にあり、大変貴重な古代ヨーロッパ史研究資料を我々に提供してくれています。

 こちらはバシリカ。今では柱も折れて失われていますが、当時は壮麗な建物がありました。

 かつての華麗さを偲ばせています。

 続いてこちらが公共広場。

 ヴェスヴィオ山をバックに、奥にユピテル神殿、左にアポロ神殿、右奥にヴェスパシアヌス神殿、右手前にエウマキアの建物が面しています。ポンペイの中でも特に重要な空間ですね。

 こちらはエウマキアの建物。

 アポロ神殿。

 別角度より。

 その隣が、かつての倉庫。

 出土品を展示しているのか、それとも昔がこういう風景だったのかは、よく解りませんが・・・。

 当時亡くなった人の姿は、火山灰が堆積した後に、そのうち人体が朽ち果て、人の形をしたまま空洞担った場所へ、石膏を流し込むことで、その最後の姿が再現されます。

 とにかく痛ましいとしか言いようがありません。


 こちらはティベリウス帝の凱旋門。


 公衆浴場。中に入れるので、見て行きましょう。


 公衆浴場の風景その1.


 公衆浴場の風景その2(温浴室).意外と暗いですね〜。


 しかし、内壁の彫刻などは流石といったところ。


 こちらは浴室ですね。


 その反対側には大理石製の水盤があって、水盤中央の穴からお湯が出る構造。人々は、このお湯で体を洗いました。


 今も残る大理石製の水盤。


 ここで町並みの様子を1枚。


 フォルトゥーナ・アウグスタ神殿。


 casa della fontana grande 直訳すると大きな泉の家。


 今も色鮮やかに残るモザイク画による泉水堂があります。


 casa della fontana piccola 直訳すると小さな泉の家。


 こちらにも色鮮やかに残るモザイク画による泉水堂がありました。


 こちらは建物の外観です。