○イタリア:ポンペイ

 1997年に世界遺産に登録されたポンペイは、ヴェスヴィォ山の麓に広がっていた古代都市の遺跡。元々は紀元前600年ごろイタリア先住の山岳民族オスク人が建設したもので、後にサムニウム人の支配下に。さらに紀元前89年、独裁者スッラ率いるローマの植民地となり、これ以後はローマの貴族のリゾート地、そしてサルノ川の河口にある港町として、交易拠点となり発展しました。

 ところが紀元後62年の大地震で甚大な被害を受けたばかりか、79年8月24日にヴェスヴィォ山が噴火し、降り続く火山灰によって翌日には町は地中に埋もれてしまいました。約2万人以上いたと推定される人のうち、2000人が死亡。その多くは噴火に伴う高温の火砕サージによって亡くなったと考えられています。

 そして長き眠りを経て、1748年に再発見された後に19世紀から本格的な発掘調査が開始され、現在は8割程度が終わったところ。亡くなった方々には大変恐縮ですが、街全体が丸ごと地中に埋まったことから、街路や建物から小道具まで、街を構成する様々な遺物が大量にあり、大変貴重な古代ヨーロッパ史研究資料を我々に提供してくれています。
(解説:裏辺金好/撮影:孟保世 禁転載)









ポンペイに降り積もった火山灰は雨をふくんでおり、石膏(せっこう)の鋳型のような役割を持ちました。
そのため、人体や動物の体が土に返った後、その形のまま空洞が出来上がります。
発掘の際、そこへ石膏を流し入れて、彼らの最期の姿を克明に再現しています。


鼻を押さえ、うずくまって最期のときを待っていたのが解ります。