4.アムステルダム:「アムステルダム国立美術館」

 続いて南へ、アムステルダム国立美術館へ向かいますが、その前に少し別のネタを。

 天気も晴れてきて、美しい・・・ですが影のおかげで写真が若干撮りにくくなる中・・・。

 そして、ダム広場の少し南へ戻り、ホテル ドゥ ヨーロッパを撮影します。

 実はこの建築、長崎県のテーマパーク「ハウステンボス」にある「ホテル ヨーロッパ」の元ネタになった建物。本物と元ネタを是非比較してみたかったのですが、こうやって見ると実に良く出来ていらっしゃる!

 周辺の風景。あ、この写真はアムステルダムですので。

 さらに南下し、何やら20世紀の権威主義的な様式の建物を発見。詳細は不明でしたが、アムステルダム・シティー・アーカイブスという建物だそうです。

 またまた路面電車。

 そして、若干歩いたので足が疲れつつ、アムステルダム国立美術館に到着します。

 アムステルダム国立美術館は、1800年にオランダ総督ルブランがハーグで開いた展覧会をきっかけに誕生したナショナル・アート・ギャラリーを、1808年にナポレオンの命令でアムステルダムに移転。現在地には1885年に移転し、ピエール・コイペルスの設計で、ゴシック様式とルネサンス様式を取り込んだ華麗な建物が完成しました。

 長期にわたって本館は改修工事のために閉館していましたが、2013年4月にリニューアルオープン。

 17世紀のオランダ絵画を中心としつつ、年代別にオランダゆかりの美術品、工芸品などが充実しています。建物自体が見事なものですが、内部を見ているだけでも、軽く半日は超える状態。初めから全てを見るのは無理と考え、興味がある部分を中心に見て回ることにしました。

 本館内の通り抜け通路を行くと、自転車による照明点灯体験(?)が行われており、皆さん必死に自転車をこがれていました。う〜ん、不思議な光景だ。

 さあ、いざ内部へ!と思いきや、絶賛好評中のため入場制限つきで長蛇の列。ちなみに公式ウェブサイトで前売り入場券を買っておけば、並ばずに済むとのことですが、そちらも入場制限中。とりあえず順光で撮影できる建物背面から写真を撮影したところ、目の前では特設のアイススケート場が大人気でした。

 あまりの人の多さに一時は入場を断念しようかと思いましたが、30分程度で入ることができました。冷静に考えれば、アムステルダムでほかに見るべきところも、マニアックなネタを探さない限り、そう多くあるわけではないので、やはり日本ではめったにお目にかかれない文化財を堪能したいと思います。

 美術館と言いつつ、1枚目はいきなりクロスボウ。1500年代のオランダのものです。

 こちらは1550年にドイツで作られたチェスのセット。

 黒のキングは、神聖ローマ帝国皇帝のカール5世(1500〜58年)に似せているそうです。

 それから展示を素っ飛ばしまくり、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜90年)の手による自画像を鑑賞。1887年の作品とのことです。

 こちらもゴッホの作品で、Almond Tree in Bloom。1888年の作品です。

 こちらはフランスのアレクシス・ファリーズ (Alexis Falize /1811年〜98年)による、bottle for smelling salts。直訳すると気付け薬のためのボトル、という意味のこの壺、ご覧のとおりモチーフや技法に日本の影響を受けているそうです。ファリーズは日本の浮世絵などが大好きだったそうですね。



 こちらは題材は大きく変わり、オランダの植民地だったジャワの市場の模型(1830〜60年の制作か、その頃の風景か・・・)。

 こちらはジャワ島の役人・・・という作品だったか。

 こちらは大砲(captured ordnance)。東インド会社の武器として1657年に造られたもので、ジャワの王族を中心に起こったオランダに対する抵抗戦争である、ジャワ戦争(1825〜30年)で使われたようです。

 Spear rack of Governor General J.C.Baud。1834年のもので、ジャワ戦争後に造られたもの。

 日本の出島の復元模型もありました。

 別角度から。1850〜51年に造られたものだそうです。ちょうど日本が開国しようとしていた頃の時代ですね。

 Portrait of red-haired foreigner and a black boy 。1840〜50年に日本で描かれた作品で、オランダ人を紅毛人、黒人の少年をクロポカと記しています。

 1800〜20年に描かれた出島の絵。


 現在のスリナム共和国の首都、パラマビオの中心部を再現した1812年のジオラマ。元々はイギリスの植民地でしたが、英蘭戦争の結果、1667年にオランダが領有しています。この際、ニューアムステルダムをイギリスに譲り、ニューヨークと改名されています。

 なお、スリナムは「パラマリボ市街歴史地区」として、2002(平成14)年にユネスコ世界遺産に登録されています。ジオラマ左側の旧総統府も現存しているようです。

 また、ジオラマを作成したのは、ゲリット・スハウテン(Gerrit Schouten/1779〜1839年)というスリナム芸術家。オランダ人の政府職員ヘンドリック・スハウテンと、現地の黒人女性との間に生まれた人だそうです。以下、彼の作品が続きます。

 Zeezigt という場所のコーヒープランテーションのジオラマ。Zeezigtはアムステルダムの東方ですけど、先ほどの流れで言えば、スリナムの地名でしょうか。1815〜21年に造られたジオラマのようです。

 こちらはパラマリボのスリナム川沿いの風景。交易の中心地だったようで、栄えた様子が伺えますね。1820年のジオラマです。

 これもスリナムの風景で、川沿いで生活する様子のようです。1810年のジオラマ。ゲリット・スハウテンが、スリナムの風景をジオラマで再現することがライフワークであったことが良く解ります。

 1864年の下関戦争(四国艦隊下関砲撃事件)で長州藩が使用した大砲の一部。攘夷熱が高まる長州藩による馬関海峡の封鎖と無通告での砲撃に対し、1863年に報復攻撃が行われますが(下関事件)、なおも海峡封鎖を続けたことにより、1864年にはイギリス軍艦9隻、フランス軍艦3隻、オランダ軍艦4隻、アメリカ仮装軍艦1隻で攻撃が実行され、長州藩が敗北したものです。

 以後、長州藩は武力での攘夷を諦め、海外からの技術と兵器による武力近代化と、倒幕へと方針を転換します。そう考えると、この大砲の一部は日本の歴史を変えた、ターニングポイントを物語るものとして、非常に貴重なもの。