○マチュ・ピチュ

 15世紀〜16世紀に中央アンデス一体を支配したインカ帝国の遺構であるマチュ・ピチュ。インカ帝国の都であったクスコの北西約114km、「年老いた峰」という意味のこの場所は、1911年7月24日にアメリカ人の大学講師であるサイアム・ビンガムによって発見されました。標高2400mもの場所に造られたこの都は、インカ帝国の末裔が造りあげた「黄金郷ビルカンバ」という伝説として多くの人を魅了し、多くの人々が発見に挑戦して来ましたが、アンデスの厳しい自然を前に断念。サイアムはついに、その場所を探し当てたのです。
*クスコの農場主アグスティン・リサラガという人物が、9年前の1902年7月14日に発見していたという説もあります。

 ・・・その後、実際には15世紀半ばに造られた都で、100年ほどで放棄された古代都市であることが判明。黄金郷ビルカンバではありませんでした。約750人が暮らしていたと考えられ、都市の建設に使う石材は全て人力かリャマで運ばれました。そして、総面積5000kuのうち、約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区に神殿や宮殿、居住区などに分かれ、周囲は城壁で固めるという構造。一方で、建設の目的やこの都市の用途などは未だ不明で、様々な議論があります。

 ただ、遺跡の要所に、最高神である太陽の位置を観測する装置が設置され、神殿も太陽の動きが解る構造になっていることから、インカ帝国が神聖な場所に特別に築いた宗教都市ではないかと推定されています。1983年、世界遺産に登録されました。
(解説:裏辺金好/撮影:ムスタファ *禁転載)

 標高約2700mのワイナ・ピチュからマチュピチュを見下ろします。
なお、写真左手のジグザグの道は1948年に開通した「ハイラム・ビンガム・ロード」。





住居跡に残された円盤状の石


段々畑