2.パルミラ遺跡(1)

 さあ、それではパルミラ遺跡に到着です。
 と言っても、パルミラ遺跡についてご存じでない方、名前ぐらいは知っている程度という方も多いでしょうから、まずは解説を。

 パルミラというのは「ナツメヤシ」の意味。
 そしてここは3世紀頃の古代ローマ時代にシルクロード商人達が砂漠のオアシスとして立ち寄った、交易の一大中継都市でした。

 そして、ローマ帝国がいわゆる軍人皇帝時代(歴史研究所参照のこと)で混乱をすると、独立へ動き出します。

 パルミラの首長オダナイトは、独自の弓兵を率いて、まずはローマと敵対していたササン朝ペルシアの王・シャープール1世を撃退! これによってオダナイトは、ローマから褒美として東方領行政総監督官の称号を与えられ、シリア支配を黙認され、 またかつてシリア地域で反映したパルティアという国の後継者を自認します。ところが、267年に彼は暗殺されてしまいます。
 
 すると、オダナイトの妻・ゼノビアは、「これはチャンス!」と幼い息子を王にたて、自分は摂政として実権を握ります。そして、ローマから完全な独立を狙い、小アジアの一部と、北エジプトを征服します。このときローマは、ゲルマン民族の移動に悩まされ、有効な手が打てませんでした。

 しかし、そうはいってもいつまでも見過ごすわけにはいかない。ゼノビアがアウグスタ(女皇帝)を名乗ると、勝手に皇帝を名乗るな!と、ローマ皇帝アウレリウスが遠征を開始。272年、パルミラは破壊され、ゼノビアは捕らえられローマを引き回されます。その後、パルミラは再建をされるものの、次第に歴史の表舞台から姿を消すのです。

 ただし、場所が良かったのか、神殿は後にイスラム帝国によって要塞になった他、背後にある山では12世紀にシリア・エジプトを支配したアイユーブ朝の、17世紀にはオスマン帝国の要塞が造られています。


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