2.タシケント

 まずはウズベキスタンの首都、タシケントから。
 タシケントは紀元前1世紀頃から歴史に登場し、その名前は7世紀頃から現れます。そして、8世紀にアラブ人、13世紀初頭にチンギス=ハン率いるモンゴル帝国に、さらにティムール率いるティムール帝国に支配されます。

 さらに1855年にロシア帝国に併合され、つづくソ連統治下ではウズベク・ソビエト社会主義共和国の首都に。1991年8月にウズベキスタン共和国が発足すると、そのまま首都として今に至っています。

ラフティー通りと路面電車
 交通の主役ではなく補完的な役割を担っていますが、タシケントでは路面電車が元気に走っています。

アミール・ティムール広場
 アミールとは「王」「総督」「軍司令官」を表すアラビア語。ティムールとはサマルカンドを首都に大帝国を築いた人物(1336〜1406年)です。

アミール・ティムール像
 アップでどうぞ。なお、アミール・ティムールはウズベキスタンがソ連の一地方扱いだった時はそれほど英雄視されていませんでしたが、独立後は故郷を代表として英雄視されています。

ナヴァイー劇場
 1947年に、タシケントに抑留されていたソ連による日本人捕虜によって建設されたもの。1500人を収容する劇場で、休憩室の壁に彫られたタシケント、ホラズムなど6都市の様式で彩られ彫刻が一見の価値アリです。

ナヴァイー劇場
 天井の様子。非常に美しいです。

ナヴァイー劇場(日本人捕虜の碑)
 1945年から1946年にかけて極東から強制移送されてきた数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴァイー名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。
 と、日本語、英語、ロシア語などでも書かれています。日本人達は、どのような気持ちでこの建物を建設していたことでしょうか。

路面電車
 こちらもタシケントを行く路面電車です。タシケントは首都でありながらのんびりした雰囲気。緑が多く町全体が公園のような感じがします。

航空機より
 タシケントに別れを告げ、ウルゲンチを経由し、ヒワへ向かいます。