ベルリンの都市高速鉄道「Sバーン」

1996年から2004年にかけて導入された最新のBR481型。ヴェストクロイツ駅で撮影。ヴィアテルツーグを3つ繋げて6連で運転する事も(後述)。

 ミュンヘンのSバーンの項にもある通り、Sバーン(Stadtschnellbahn、都市高速鉄道の意)はドイツの都市圏に運行され、市内と都市近郊を結ぶ鉄道路線の総称として用いられる。ベルリンも例外ではなく、ベルリン市内とその近郊のブランデンブルグ州の交通の要となっている。Uバーン、路面電車と料金制度は共通しており、運行会社はドイツ国鉄の子会社だが、2017年からは運行会社が変わる予定だ。


 Sバーンの幹線は3つあり、ベルリン市内を横断するシュタッドバーン(東西高架路線)、市内を縦断する南北トンネルと環状線のリングバーンがある。Sバーンには15系統存在するが、S3系統を除き全ての系統がこの三大幹線の一つを走る。


 使用車両は3種類あり、1980年台に製造されたBR480型、BR485型と1996年から導入されたBR481型が存在する。これらの列車は少し変わった「フィアテルツーグ(Viertelzug, 四分の一列車の意)」というコンセプトを使用していて、運転台が一つ備わっている二両ユニットを四分の一と定義している。すなわち4両編成は半分列車(ハルブツーグ、halbzug)で、8両編成が本来運行されるべき姿である(フォルツーグ、vollzug)。


 ベルリンに張り巡らされた鉄道網がSバーンとして運行を始めたのは1924年で、これを機に蒸気機関車が廃止され全線電化となった。第二次世界大戦中は空襲の被害を受け、運休区間が拡大していった。ヨーロッパでの最後のベルリンの戦いでは退却するナチス親衛隊がロシア軍を退くために南北トンネルを完全に浸水させたという。戦後は徐々にインフラが復旧し、東ドイツのドイツ国営鉄道の管理下によって運行された。


 ベルリンの東西を結ぶSバーンは冷戦時代になると乗車に様々な規制が設けられた。東西ベルリンの境目となる駅を通過するには出入国審査が必要になり、西ベルリン内は無停車でそのまま東ドイツ領に抜ける列車も設定された。1961年8月に建てられたベルリンの壁によってSバーンの路線網は二分離されたが、運行管理はドイツ国営鉄道が引き続き行っていた。東西ドイツ統一後はSバーン網も統一され、1994年に誕生した新ドイツ国鉄の管理下となった。


 ドイツ統一後はSバーンの運行も順調かと思われたが、2009年7月にドイツ鉄道局によって実施された列車の保安検査によって一変した。この検査は2009年5月に起こったBR481型の事故がきっかけだったが検査の結果、同形式の保守が2年も遅れていて、これは運行会社の経費節減の一環であった。この事件の発覚により、保守が遅れている車両が全て検査に出され、一時期はSバーン車両の7割以上が使用不可能となっていた。

 この期間中は15のうち8系統が運休、列車は併結運転をやめ、20分間隔で走っていた。2011年春には通常ダイヤに必要な500編成中420編成が使用可能で幾分か状況は改善され、現在も通常運行に戻りつつある。現運行会社との契約は2017年に切れるが、同会社との契約更新は打ち切りとなった。

(解説&撮影:秩父路号)


ベルリン中央駅るに停車中のBR481型。

BR481型の車内は2+2のクロスシート。

運転台付きの車両には収納式ロングシートの部分があり、自転車や車椅子用のスペースとなっている。

Sバーンの電化方式は第三軌条750V DC。

1986年に初登場したBR480型。西ドイツの設計で、2連での運行が可能なように
フィアテルツーグの両側に運転台が設けてあるが、現在のSバーンの需要では一編成単体で運用される事はない。

1987年に登場した東ドイツ設計のBR485型。東西ドイツ統一以前はDR270型という形式名だった。
他の二形式と比べて数が少なく、担当する系統も3つしかない。

BR485型の車内。2+2のクロスシートとなっていて、フィアテルズーグ間の行き来はできない。

ベルリン・ショーネフェルデ空港駅の看板。やはりヨーロッパ本土の落書きはすごい。

メッセ(南)駅の全景。インノトランス2012(国際鉄道技術専門見本市)の最寄り駅だった。