吉川元春館/万徳院跡〜広島県北広島町〜
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○解説
吉川元春館は志路原川の河岸段丘上に位置し、毛利元就の次男である吉川元春が、嫡子である吉川元長に家督を譲ったことに伴い、隠居館として1583(天正11)年に建設を開始したもの。建築を進めながら居住しましたが、1586(天正14)年、豊臣秀吉の九州平定に従軍中に小倉城(福岡県北九州市)で病没。存命中に館が完成することはありませんでした。また、吉川元長も翌年に病死し、跡を継いだ元長の弟、吉川広家は1591(天正19)年に月山富田城を本拠とし、さらに1600(慶長5)年の関ケ原の戦いで、毛利家は防長2か国に削減。吉川家は岩国城を本拠とし、この地を失いました。
館跡の奥にある林の中に、吉川元春・元長親子の墓所があります。吉川家の岩国移封後は荒廃していましたが、1827(文政10)年に修復。さらに、1908(明治41)年の追贈に際して改修されています。
また、近くには吉川元長が自らの菩提寺として建立した万徳院跡があります。こちらも併せて紹介します。
(写真&解説:裏辺金好)
○場所
○風景
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戦国の庭歴史館
吉川元春館のガイダンス施設。
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復元模型
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石切場跡
復元模型とセットで紹介。館の脇は東西約7m、高さ約4mの石切り場で、現在もその痕跡がみられます。
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吉川元春館正面
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石垣
高さ約3mの巨大な石垣が、約80mに渡って続く圧巻の光景
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台所(右)と付属屋(左)
復元図は突然の来客対応を行っている様子。台所で調理や配膳を行い、付属屋で食器を保管していました。
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付属屋
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台所
写真右手には囲炉裏がありました。
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台所
こちらは竈と配膳室の様子。
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南側の建物から鑑賞していたと考えられる庭園。築山と池から成ります。国の名勝に指定されています。
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井戸跡
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吉川元春・元長親子の墓への道
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吉川元春・元長親子の墓
左側が吉川元春、右側が吉川元長の墓です。
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松本屋敷跡
吉川元春館の向かい側にあります。吉川元春の妻の屋敷跡で、東西約80m,南北約30mの規模で、前面に高さ約2mの石垣が残ります。
○万徳院跡
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ガイダンス施設
現在は万徳院跡歴史公園として整備。参道手前にある入り口には、かつての本堂と同規模で造られたガイダンス施設があります。
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復元模型
吉川元長ゆかりの万徳院跡。
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参道
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表門跡
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風呂屋
室町時代の絵巻物や現存例などをもとに復元した蒸風呂。毎月第3日曜(12月・1月・2月を除く)には体験できるそうですが、ちょっと荒廃しているような・・・。
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庭園跡
楕円形の池と中島から成ります。