2015年6月5日 水島臨海鉄道、井笠鉄道&福山自動車博物館


さてさて、今回の旅行は・・・。 まずは6月4日の仕事終わりに岡山へ。

ちょうどサンライズ出雲・瀬戸が停車していたので1両ずつゲットします。 まあ、これはこの程度の話で本題は次から・・・。

6月5日の朝はゼニガタ所員と倉敷からスタート。ホテルを併設していたはずの倉敷駅は、なんとホテル部分のみカットされて小さくなっていました。

元々がこのような建物でしたので、見事不要部分のみカットされた感じ。これが、減築というものなのですね。しかし、せっかくの大きな駅ビルが何とも残念・・・。

そして、リン所員とも合流して3人で水島臨海鉄道の球場前駅へ。

まずは水島臨海鉄道MRT300形で練習。

そして、JR東日本の久留里線からやって来たキハ37形水島色をゲット。

曇天であったことを逆手に取って、倉敷駅からの折り返しは先ほどと逆の場所から撮影。

そしてリン所員の車で三菱自工前駅へ行くと、先ほどのキハ37形が折り返しの準備をしておりました。

さて、何度も来ておりますが車両基地の見学。まずは、4両中1両のみが廃車を免れて何とか存続した、キハ20形(キハ205)。しばらくは第1日曜日に特別運行されていますが、最終的にはいつまで続くでしょうか。

JR貨物のDE10形がいました。じわじわ勢力を減らしているので、撮影できるうちに撮影しておかないと・・・。

こちらは水島臨海鉄道のDD50形(DD501)ですね。

こちらは国鉄色ツートンカラーに塗られたキハ37形+キハ38形。この停車位置では、キハ38形のご尊顔が見られない・・・。

また近いうちに撮影しに行かないといけないのかと思っておりましたら、何と動き始めました。

ちょうど入換を開始したようで、運よくゲット。

こちらも久留里線から移籍した車両ですが、まさか第三セクター鉄道へ譲渡された時に、現役時代に塗られたことのなかった国鉄色ツートンカラーになるとは・・・。

さらに、キハ37形+キハ38形の背後に隠れていたキハ30形(キハ30 100)も撮影出来ました。

それから、DD506と部品取り車となっているキハ30 98も撮影し、水島臨海鉄道へ別れを告げ、次の場所へ向かいます。

水島臨海鉄道の撮影を終え、伯備線沿いにリン所員の車に乗っていたところ、ボンネットバスとすれ違います。7月から11月までの運行だとか。

我々は伯備線の美袋駅の少し南側で少々撮り鉄。まずは115系。

381系特急「やくも」。

そしてEF64 1010号機による貨物列車を撮影します。

この後はタイトルのとおり、高梁市吹屋にのこる古い町並みを散策しに行くのですが、その少し手前に元仲田邸という古民家があったので、撮影。研修施設や宿泊施設として使われているようです。

さて、吹屋の古い町並みに尽きます。ここは、江戸時代から明治時代にかけて、ベンガラと銅山で栄えた町並み。





基本的に赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一されているのが特徴で、他の古い町並みにはない、特色があります。

さらに、旧吹屋小学校は2012(平成24)年まで現役だった木造校舎。本館は明治42年築、東西校舎は明治33年築で、当時は「日本最古の現役木造校舎」として知られていました。

詳しくはまた、ホームページで掲載していくことにしましょう。

さて、吹屋の古い町並みは郊外に幾つか大変立派な古民家があります(歩いて行くのはちょっと大変そう・・・)。

まずは、こちらの広兼邸。ご覧のように、なんと城郭を思わせるような石垣の上に家が建っております。小泉銅山とローハ(硫酸鉄)の製造を営み、大きな富を築いた大野呂の庄屋さんだったそうです。

まさに城塞・・・。3人共、「これが(江戸時代の)個人の家?」と絶句。







外観が凄すぎたので、中は意外と驚きませんでしたが、人里離れた場所にこれだけの壮大な屋敷があるというのは、恐るべし話です。 次回は、もう1つの古民家を見ていきましょう。

続いては高梁市成羽町坂本にある西江家住宅。前回の広兼邸とは全く場所が異なっており、一時は訪問を諦めていましたが、たまたま次の行先へのルート上にあったので、訪問できることに。

西江家は、ベンガラの原料となるローハの量産で大きな財を為し、代官御用所を兼ねた立派な主屋が残ります。宝永から正徳年間(1704〜1716)ごろから建てられはじめたものだとか。また、軽微な犯罪を裁くための簡易な白州もあったそうです。

なまこ壁の土蔵。



現在でも西江家では、ベンガラの製造に新たな可能性を求めて取り組んでいるそうで、家業を発展させていこうとする姿勢には頭が下がります。

こちらは邸内に設けた私塾。番頭さんが子供たちに読み書きを教えたそうです。

現在も西江家が居住されていることもあり、当日はご当主直々に色々と解説して下さいました。 ベンガラからゼニちゃんの故郷ネタなど、色々と話が弾み、すっかり長居してしまいました。この場を借りて御礼を申し上げると共に、改めてベンガラに対する熱い誇りに、心から尊敬する思いです。

鉄道ネタに戻りまして、ご覧のように雨足が強まる中、井原市笹賀町 経ヶ丸グリーンパーク(子供の村)で保存されている、井笠鉄道ホジ101と、ホハ8を見に行きます。ちなみに井笠鉄道は、1971(昭和46)年まで運転されていた軽便鉄道です。

こちらがホハ8。窓枠がちょっと・・・な状態ですが、流石に上屋根が付いていることから、大幅な損傷はなさそうです。

ホジ101の車内。

ホジ101の運転台。色々な機器があったはずですが、失われていますね。

 続いて、笠岡市にある井笠鉄道記念館へ。ここは、かつての新山駅と井笠鉄道の車両3両が保存されている場所です。ちなみに写真は、かつてのホーム側ですが、線路部分は幹線道路になっています。 記念館はバス専業会社となった井笠鉄道が、最後の駅長さんであった田中春夫氏を館長として長らく運営されてきましたが、2012(平成24)年に井笠鉄道が破綻。
 記念館の先行きが不安視される中、新山地区自治会が管理を行う意向を示し、笠岡市が買収。 2014(平成26)年3月30日にリニューアルオープンし、車両の塗装と駅舎内のトイレも美しくなっておりました(※ここ重要!)。 それでは、保存車両たちを見ていきましょう。

1913年にドイツで製造された1号機関車。1973(昭和48)年から5年間は、西武山口線で使われていました。

1913年製のホハ1。100年前の車両と思えないほど美しい状態になっています。

こちらは車内の様子。

それから、1914年制の木造貨車であるホワフ1。

駅舎内部。かつての改札口ですね。

こちらが現役当時の写真。

本来の入り口はこちらなのですが、埋められてしまっております。

こちらが井笠鉄道最盛期の路線図。廃線後に長らく経ち、井笠鉄道の跡地も利用する形で、1999(平成11)年に第三セクター鉄道の井原鉄道が開業しています。 さて、最後にリン所員のホームタウンである福山に向かいます。 ・・・広島県に突入です。

さて、岡山で遊んでいたはずが、ついに広島県福山市へ。この日のラストは、JR福山駅から徒歩12分の場所にある、福山自動車時計博物館という私設の博物館へ案内されました。

館内に入る前に周囲を見てみると、レトロな自動車やボンネットバスなどがゴロゴロ。

これは動きそうですね。

一方で取り敢えず引き取ってきただけ・・・という状態の車両も。



さらには大量の消防車も。ただ、屋外展示は解説がないので、何の車両かよく分かりません。

これは雪上車ですな。

さらには、何かの蒸気機関車まで鎮座していました。

さて、貴重な車両の数々が館内に収蔵されていますが、ここの最大の特徴は実際に乗ることができること。また、走行可能な車両も多いとのことです。

昔の車って、かなり狭いんですね。





個人的に気になったのはダイハツの電気自動車 DBC-1型。1974(昭和49)年に誕生したそうです。

あと何故か、歴史上の偉人の蝋人形が多数・・・。





歴史研究所のコーナー的には、良い素材が集まりましたが、唐突ですね。

また、時計博物館でもありますので、多数の時計も展示されています。

さらには昭和の食卓の上に・・・。

パイパーPA-28 チェロキーが載っていたりします。 なかなかユニークな空間でした。詳しくはまた、ホームページで。



最後に、ゼニガタ所員と新大阪へ行き、キハ189系による特急「びわこエクスプレス」を撮影。平日ならではのネタです。 ところで、キハ189系はキハ181系のような雰囲気があって良いですね。国鉄色にしても違和感なさそう?

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