2025年5月6日 野田市の近代建築散策と府中市を歩く

この日は友人のMr.Kほか1名と一緒にマンホールカード収集と史跡巡りを行うため、まずは東武アーバンパークラインに乗車。早速、新型車両80000系に乗車することができました。

車内の様子。

車内のテーマは「リビング」で、その中でも4号車には家族連れをターゲットにした優先席の『たのしーと』が設置されています。ベビーカーを置いてその真横に座ることも可能です。


さて、東武アーバンパークラインの正式名称である東武野田線の源流?である、野田市駅で下車します。2024(令和6)年に新駅舎と高架ホーム2面4線化の供用を開始したもので、重厚な雰囲気ですね。

さて、野田市駅前にはキッコーマン関連をはじめとする醤油にまつわる施設が多数ありますが、まずは野田市市民会館(旧茂木佐平治邸)へ。ここは、野田醤油株式会社(現・キッコーマン株式会社)を設立した8家のうちの1つで、亀甲萬(キッコーマン)醤油を醸造していた9代目茂木佐平治氏の邸宅です。1924(大正13)年頃に建築されてから昭和20年代後半まで実際に生活が営まれていました。

入母屋屋根の車寄せが付く玄関部。

小学生と保護者を対象にした甲冑体験が行われていました。


台所。まだ現役のようですね。

さて、野田市駅周辺には様々な近代建築が残されています。こちらは、千秋社(旧・野田商誘銀行)。1926(大正15)年築で、設計は斉藤久孝。鉄筋コンクリート構造2階建で、近代化産業遺産に指定されています。茂木・高梨家ら野田の醤油醸造業者が設立した銀行で、名前にある「商誘」も「醤油(しょうゆ)」にちなんで名づけられたとか。1944(昭和19)年に野田商誘銀行は国策により千葉銀行と合併し、その後はキッコーマン創業家一族が保有する千秋社が建物を保有しています。

旧中村商店。明治期の商家建築で、1998(平成10)年に営業を終了してからは長らく使われていませんでしたが、2020(令和2)年に再整備され、様々な店舗が営業しています。

興風会館。1929(昭和4)年築で、設計は大森茂。地域への還元を目的に千秋社の寄付により建築され、最大506人の客席を持つ大講堂や集会室、地下ギャラリーがあり、竣工当時は千葉県庁に次ぐ大きさといわれました。国登録有形文化財、近代化産業遺産です。

その他、周辺には茂木一族のお屋敷が数多く残っています。

こちらは茂木七郎右衛門家住宅。

茂木七郎治邸

旧野田醤油事務所(現・キッコーマン製造管理部事務所)。今回はタイミングが合わなかったのですが、キッコーマンもの知りしょうゆ館とセットで見学したいものです。

さて、野田市駅に戻り東武野田線を撮影。こちらは8000系による急行。方向幕がいいですね!
80000系がやってきました。

こちらの編成にはモニタリング装置がついているようです。


8000系の普通。今度はLEDの種別・行先表示でした。

80000系の普通。

そして、8000系のリバイバルカラーがやってきました。

せっかくなので乗車します。

車内の様子を記録しておきます。

ちなみに、こちらが通常の8000系の車内。

さて、柏駅に到着し、駅前の商業施設で展示されているマンホールの蓋を撮影。

これで本日の目的は達成したのですが、時間が余ったので武蔵野線へ移動し、新三郷駅前で三郷市のマンホールを撮影。

馬橋駅で流鉄5000形「若葉」号を撮影。

松戸駅では京成松戸線の8800形を撮影。

京成松戸線誕生ヘッドマークを付けたN800形リバイバルカラー。

まだ時間があったので、場所を大きく変えて京王線沿線へ。西調布駅で下車します。

新選組マンホールを撮影。

西府中駅前、旧甲州街道沿いにある西光寺へ。天台宗の寺院で山名は長谷山。1396(応永2)年に開創したと推定され、江戸幕府が開府した際に甲州街道の宿場維持のため、布田五宿の一つ上石原宿の中心である当地へ移転しました。寛永年間に天台宗の寺院へ改められ、宝永年間(1704〜10年)に大僧都弁雄が建てた仁王門(上写真)が今も残り、調布市の文化財(市重宝)に指定されています。

また、山門前には2001(平成13)年に近藤勇座像が建立されています。

今度は分倍河原駅で下車。

府中市の「ちはやふる」マンホールを撮影していきます。

片町文化センター内には、漫画「ちはやふる」の登場人物「綾瀬千早」、「真島太一」、「綿谷新」の小学生時代のデザインが展示。

片町文化センター前に同じマンホールが設置されています。

武蔵野線の府中本町駅方面に歩き出し、安寺へ。ここは平安時代に平将門を討ち取った功績で武蔵野守となった藤原秀郷の館跡が、のちに市川山見性寺に改められたものですが、鎌倉時代末の戦乱で荒廃したのち、室町幕府を開いた足利尊氏が龍門山高安護国禅寺と号する臨済宗の禅寺として再興したものです。
その後、この場所は河岸段丘上にあることから重要な軍事拠点となり、度重なる戦乱で荒廃します。その後、江戸時代初期に海禅寺(青梅市)の末寺に入り、宗派を曹洞宗に改めて今に至ります。

山門は1872(明治5)年築。

本堂は1803(享和3)年築。

鐘楼は1856(安政3)年築。これら3つは、いずれも東京都選定歴史的建造物に選定されています。

こちらは安寺観音堂。享保年間(1716〜1736)の建築といわれ、桁行三間・梁間三間の入母屋造です。

その後も雨の中、ちはやふるマンホールの撮影を続けます。

こちらは下河原緑道。1976(昭和51)年に廃止された、旧国鉄下河原線の跡地です。

なんとなく、今でも列車が来そうな雰囲気ですね。

府中本町駅に到着し、本日の旅を〆としました。