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日本の旅 第32回 広島城・不動院と可部の街並み〜広島県広島市〜
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5.安国寺恵瓊ゆかりの不動院 |
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原爆のせいもあり、広島には木造の古い歴史的な建物が殆ど無いのが現状ですが、その中でなんと500年以上前に立てられた建物が残る場所があります。それが、この不動院。広島市中心部の本通よりアストラムラインであっという間に着く場所にあります。
このお寺、元々の名を安国寺と言います。 歴史マニアであれば安国寺とう名から、安国寺恵瓊という名前を思い出すのではないでしょうか。そうです、ここは彼が住持を務めたお寺なんですね。安国寺恵瓊って何者かいな、と言う方もいらっしゃるでしょうから、簡単に説明しておきますと、彼は安芸国守護武田信重の子供。武田というのは、甲斐の武田信玄と同族ですが、こちらの武田氏は毛利元就によって滅ぼされてしまいます。 僧侶になっていた安国寺恵瓊は、その後毛利家に仕え、外交を担当。有名なエピソードとして、まだ織田信長存命中の時に羽柴(豊臣)秀吉に会い、「信長は直ぐ滅びるが、秀吉は伸びていくだろう」というようなことを予言したエピソードがあり、事実その通りになりました。ところが、自分の運命というのは予言者も解らないようで、関ヶ原の戦いにおいて西軍の石田三成に毛利家を総大将として参戦させようとしたところ、徳川家康に味方せよ、という毛利一族の吉川広家らと対立。結局、吉川広家が毛利軍を動かさなかったために安国寺恵瓊の目論見ははずれ、西軍の中心人物として恵瓊は処刑されてしまいました。 ・・・そ〜なると、ここ安国寺も「安国寺」という名前はマズイ、ということで不動院に改称し、仏堂も金堂と改称しました。 なお、金堂は山口の守護・戦国大名大内氏が建てた物を、毛利氏が大内氏を滅ぼしたため、安国寺恵瓊がここに移築したものと言われています。なお、現存の唐様仏殿の中では最大とか。1540年築で国宝。 また、赤が美しい鐘楼堂は、1433年の建築で重要文化財.。 さらに不動院への入り口にある楼門は1594年の建築で重要文化財。こちらは、なんと豊臣秀吉の朝鮮出兵時に従軍した安国寺恵瓊が朝鮮から材木を持ってきて建てたそうです。 恵瓊はこの他、朝鮮から高麗時代初期に造られた銅製梵鐘も持ち帰っています(現在も存在し、重要文化財に指定)。・・・おそるべし、恵瓊。 |
6.広島東照宮と国前寺 |