福岡県北東部の工業都市。人口は約101万人。面積は483.15km2。1963(昭和38)年、門司・小倉・戸畑・八幡・若松の5市が合併して誕生し、九州で最初の政令指定都市に。門司・若松・戸畑・小倉北・小倉南・八幡東・八幡西の7区を設置。
今回は福岡県北九州市をお届けしましょう。2003年3月に氷川雨水相談役と行って参りました。また、我々の友人の
水瀬式が住んでいるので、当然彼もご一緒です。ま、そんな話はおいておきまして・・・。
福岡県北九州市というと人口100万を擁する大都市。ですが、全国的には知名度今ひとつといったところ。やはり「北九州」という地名がいけない。これでは市の名前として認識されづらいし、新幹線が停まるのは「
小倉」という名前の駅。製鉄所で有名な八幡、レトロ地区で有名な
門司港なんかも超有名ですが、北九州として有名なわけではない。しかも、どこも旧市街をそれぞれ持っているわけで・・・・。そんなわけで、是非北九州という市を皆さん覚えましょう。
さて、玄関口の小倉は5年ぐらい前に駅を大きく改築し、モノレールも乗り入れ。九州随一の巨大な駅に変貌しております。駅前には以前、「そごう」がありましたが、こちらは出来た瞬間に「そごう」本体の破綻で解散。事実上長らく空き店舗でしたが、ようやく「伊勢丹」だったかな、何かのデパートが入ることになり、やっと面目を一新しそうです。
ところで左上写真はJR九州の特急ソニック。九州を訪れたら、ぜひ車両のデザインをご覧ください。格好いいですよぉ。そして、左下写真が小倉駅と北九州モノレール。市内をモノレールが走る都市は凄く珍しいです。ちなみに、元々は路面電車が走っていました。

さて、駅から商店街を抜けていくと見えてくるのが小倉城。関ヶ原の戦いのあと、1600(慶長5)年にやってきた
細川忠興が、その2年後に建築した城です。その後、1632年に細川氏は熊本に移封され、明石から小笠原忠真がやってくると、あとは明治まで存続。
幕末の第2次長州征伐の時には、無念にも
高杉晋作・
坂本龍馬の部隊と戦って敗北しています。そんなわけで、熊本城と並んで近世城郭の中では数少ない、実戦を経験した城といえるでしょう。が、それがために小倉城は焼失してしまいます。ただし、天守閣についてはそれより先の1837年に、城内から発した火災によって全焼しています。図体がでかいだけに、天守閣って本当に火災に弱い。もちろん、お金がかかるからもう一度は建造されず。
現在あるのは、市民の要望で昭和34年に再建された鉄筋コンクリート造り4重5階の立派な天守閣。格好いいので好きですが、原型とは少し違うらしいです。なお、4階と5階の間にひさしがなく、5階の方が大きいのが特徴。これは、元の天守閣も同じだったようです。
ちなみに、
宮本武蔵の養子である
宮本伊織は、この小倉藩に仕えています。この他、小倉城にまつわる話としては、明治10年の西南戦争。明治政府に接収された小倉城内には、歩兵第14連隊がいたのですが、この時、
乃木将軍に率いられて
西郷隆盛と戦うべく出陣。その後も、第12師団の司令部が城内に置かれました。また、軍医だった
森鴎外も小倉にいたことがあり、旧居が市内に残っています。
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というわけで、左上と右上の写真は軍に関係する遺物。
写真はお見せできませんが、氷川相談役には大砲の横でポーズをとっていただきました。なかなかハンサムに撮影。
一方左は、小倉城内にある神社。
何故か城の中には神社がよく建っている気がします。 |
次に小倉駅から9駅先の
折尾駅をご紹介しましょう。
古い駅舎といえば、いつも
門司港駅ばかり注目されますが、こちらも歴史ある駅。なんと、1916(大正5)年の建築。ちなみに門司港駅は1914年建築なので、2年先輩に当たります。
なお、この折尾駅。
6番線・7番線が、駅前広場を挟んで150m先にあるという不思議な駅です。6・7番線には、また別の駅舎が設置されております。さらに言えば、1・2番線は1階、3・4・5番線は2階にあったりします。写真左上が古い方の折尾駅。左下がおまけ(?)の方の折尾駅。
もっとややこしいことに・・・・。
折尾駅に乗り入れるのはJR鹿児島本線、JR福北ゆたか線(筑豊本線)。1・2番線が福北ゆたか線の始発。3・4・5番線が鹿児島本線、6・7番線が鹿児島本線直通の、福北ゆたか線。・・・・そんなわけで、福北ゆたか線ご利用の方は、大変です・・・・。何とならなんのかね。
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