日本の旅 第98回
富岡製糸場とその周辺〜群馬県富岡市〜
     A trip of Japan No.98 Tomioka City
○富岡市の概要
 人口約5万人弱の都市で甘楽地方の中心。中山道の脇街道(わきかいどう)である信濃別路の宿場町として発展。明治5年には官営富岡製糸場が建設され、日本近代化の牽引役となった。

○上州福島駅〜上州富岡駅
 さあて、また再び上信電鉄に乗車します。列車を終点の下仁田方面へ進め、今度は上州富岡駅へ。


6000系 日野自動車バージョン
 上州福島駅にて、高崎へ向かう列車。
 1981(昭和56)年に登場した上信電鉄オリジナル車両で、現在はこのように日野自動車のPR塗装に。それどころか、日野自動車の社紋までつけて、まるで日野自動車製造の車両のようです(笑)。

デハ250形
 上州福島駅にて。
 さて、これに乗車して上州富岡駅へ行きまっせ。

上州富岡駅
 鉄筋コンクリート造の2階建ての駅舎。いかにも昔の地方の中核駅といった雰囲気。

上州富岡駅にて
 上信電鉄の電気機関車デキをイメージしたスタイルのトイレ。パンタグラフまで載っています。

○富岡製糸場ほか
 富岡市と言えば、官営富岡製糸場で有名。世界遺産登録を目指そうと、あちこちでPRしています。
 富岡製糸場は伊藤博文、渋沢栄一らが日本の生糸の品質大幅向上と、旧士族の授産対策を目的として建築された模範工場で、フランス人のポール・ブリュナを雇い入れ、工場の建設から生糸の生産まで、全面的に管理させました。しかし、ブリュナが赤ワインを飲む姿が「赤鬼が血を吸う」姿に見えたらしく、なかなか人が集まらなかったとか。結局、士族の娘達を徴発に近い形で雇い入れ、何とか操業に。ここで技術を得た娘達は、各地で工業の近代化に貢献したようです。
 そして、1893(明治26)年に三井家へ払い下げられ、1939(昭和14)年からは片倉工業の所有に。建築時の建物が長らく使われ続け、1987(昭和62)年に工場としての役割を終え、保存されます。
 2005(平成17)年10月からは富岡市が管理していますが、まだ管理体制が十分に整っていないのか、建物内部見学が不可だったり、色々と立入禁止箇所があったり、無断撮影禁止だったり・・・世界遺産への道はまだ遠そうですね。頑張れ!
 *なお、記念ということで撮影許可はいただきました。
 とはいえ、HP掲載もあまり好ましくないでしょうから、2枚だけ掲載しておきます。

富岡製糸場 東繭倉庫
 1872(明治5)年築。
 正門から入ると、まず見えてくるのが木骨レンガ造りのこの倉庫で、長さ104mです。

富岡製糸場 繰糸工場
 1872(明治5)年築。
 富岡製糸場の中心的な建物で、明治時代はここで士族の娘達が工女として技術獲得に励んでいました。

富岡市内にて
 富岡市役所の向かい側にある古い工場。

富岡市内にて
 富岡市中心部を歩くと、今でも幾つか古い建物が現役で使用されているのがわかります。こうした古い建物だけでなくとも、なんだか昭和50年ぐらいに日本各地で栄えた商店街の雰囲気がそのまま残っており、歩いていて非常に好印象を受けました。

富岡諏訪神社
 天正18年にこの地にやってきた神社で、現在の社殿は昭和9年の建築。富岡市役所の近くにあります。

この他、富岡市の見所
 1 貫前(ぬきさき)神社
 国重要文化財で、上信電鉄一ノ宮駅下車。
http://www.city.tomioka.gunma.jp/kanko/kanko0101.htm

 2 茂木家住宅
 国重要文化財で、1527(大永7)年築。
 戦国時代初期の民家で、現存する日本民家の中では最古といわれます。市内の宮崎公園にあります。
http://www.city.tomioka.gunma.jp/kanko/kanko0108.htm


○上州富岡駅〜下仁田駅
 さあて、またまた上信電鉄に乗車します。「終点まで乗る?」「任せる」「任せる」「・・・じゃあ乗ろう」というわけで、わざわざ乗りに行ってしまいました。ただし、デューク所員曰く「本当は日が出ているうちに帰りたい。」 しかし、その言葉もむなしく、解散したのは夜9時の秋葉原(牛肉料理で有名な”万世”)でした。


千平駅〜下仁田駅
 終点に近づくにつれ、どんどん山間部へ。
 かなり奥までやってきた気分になります。

下仁田駅
 これもかなり古そうな駅舎。
 旅情を誘う良い雰囲気を出しています。

下仁田駅前
 意外と栄えている駅前。近くには大きなレンガ倉庫や立派な寺もあり、ここを歩くのもなかなか面白そうです。