○第7ランナー 東武伊勢崎線普通(10000系) 羽生12:17 → 館林12:26
|
さて、さっさと家に帰ってホームページの更新でもやろうと思っていたのですが、東武の路線図を見ると、すぐ近くに館林とか、足利市とか歴史好きにはピンとくる駅名が。今回は、5代将軍の徳川綱吉が藩主を務めたこともある、群馬県の館林市へ行くことにし、東武伊勢崎線の10000系に乗車しました(上写真は反対方向、久喜行きの列車)。
この館林は、豊臣政権下で関東に入った徳川家康が徳川四天王の一人・榊原康政に10万石を与えたことから、館林藩の城下町として発展した場所で、現在でも武家屋敷や古い建築が残っており、館林市も観光に積極的に活用しています。上写真の武鷹館もその1つで、この場所に以前からあった長屋門と附属住宅を修復。
さらに旧館林藩士住宅を中に移築しています。江戸時代後期に建てられたと考えられ、館林市指定重要文化財となっています。
そしてこちらが昭和58年に復元された、館林城三の丸にある土橋門。もちろん、門の前の堀に土橋があったことから名づけられたものですが、現在は堀も含めて残っていません。
さらにはこんな近代建築も。上写真は旧上毛モスリン事務所で、1910(明治43)年の建築。群馬県指定重要文化財となっている木造2階建ての擬洋風建築です。
1階の様子。廊下の両脇に事務室を設置しています。
さらに隣接して、文豪の田山花袋(たやまかたい 1871〜1930)が8年間住んだ旧居も移築。先ほどの旧館林藩士住宅と似ていると感じられた方も多いと思いますが、これも江戸時代末期に建てられた武家屋敷の1つです。
それから何といっても東武鉄道館林駅が非常に古い建築。この建物は昭和12年に小泉線設置に伴い改築されたもの。
現在、新たな橋上駅舎の工事が進んでおり、こういう場合って旧駅舎が取り壊されることが多い気がしますが、イメージバースを見る限り、今後とも駅舎として使用されていくようです。
ちなみに、駅舎の近くにある変電所。昭和2年に浅草から館林まで電化されたときに設置された近代建築です。
それから館林駅のホームから見えるこの建物。あの日清製粉の製粉記念館で明治33年建築。日清製粉は元々、明治33年に正田貞一郎氏が館林製粉株式会社としてスタートさせたのが始まりで、この建物は創業時代の本社です。明治41年、日清製粉株式会社を合併して、自らの企業をその名前に改称し、現在に至ります。ちなみに、美智子皇后は正田貞一郎氏の孫。また、正田貞一郎氏は東武鉄道の元会長も務めています。
○第8ランナー 東武伊勢崎線普通(10000系) 館林14:56 → 久喜15:25
|
館林市内を往復で4〜5kmぐらい歩いたでしょうか。このほかにも色々散策してきて、すっかり疲れてしまいましたが、さすがに帰ることにします。帰りのルートも、これまた適当ですが、久喜駅でJRに乗り換えて湘南新宿ラインで新宿へ行き、中央線で日野に戻ることに。
鉄道関係では最後に、小泉線の8000系ワンマン列車を撮影。そのうち、東武鉄道の支線めぐりも面白そうですね〜。
○第9ランナー 湘南新宿ライン快速(E231系) 久喜15:30 → 新宿16:14
|
僅か5分の乗り換え時間で、駅舎の外に出て埼玉県久喜市のマンホールの蓋を撮影。
というわけで、単純に大宮駅へ183系を撮りに来ただけのつもりが、大宮駅で大量収穫、さらに熊谷経由で館林と、思わぬ旅行になってしまいました。先週は松山、宇和島など愛媛県を観光し、今週は群馬県となるとは思いもしませんでしたが、やはり旅はいいですねえ〜。