第4回 田園調布を開発せよ
担当:さすらいの関西人
五、田園調布の超高級化と現在
![]() 江戸東京たてもの園に保存されている 田園調布の当時の家(旧大川邸)。 1925年(大正14)建てられた住宅。 |
東京周辺は、昭和50〜昭和60年の間に地価が10倍の値上がりをします。こうした異常事態の理由は、企業の本社ビルの移転、拡充。さらに外国企業の流入により東京に人が集まり、そして需要が高まる。その上に不動産屋の投機買いが殺到し、こうした結果になったそうです。
このことが、田園調布の深刻な問題、草分け住人の流出が生じました。その理由は地価の高騰によって相続税が跳ね上がったことでした。田園調布は高級住宅街なのに高い塀の家が少なく、低い垣根の家が多く、また色々調べていても、戦争時代を経て、横の繋がりがとても強い住宅地でそれらが今崩れていっているそうなのです。
私は住民あっての住宅地であり、またそのコミュニティがその街の色となっていくのだと思います。せっかく作られた「高級住宅街なのに下町のような温かい住宅地」を社会や第三者によって壊されていくことはとても悲しいことです。
この問題は田園調布に限らず理由は様々あるとはいえ、こうしたコミュニティの崩壊は各地で問題となっていると思います。こうした伝統のコミュニティ社会は変貌していくと思います。そして21世紀の新しい都市コミュニティは、そして都市文化はどのように構築されていくか。このことが今後の日本の住宅地の大きな問題の1つでしょう。