まだまだ続きます。これでも、全てを撮影しているわけではないのですが、気になったものを撮影しているだけで、大変な状態になっております、さて、こちらはアドリアーン・ファン・ユトレヒト(1599〜1652年)が1644年に描いた「静物」という作品。
ちなみにユトレヒト氏、オランダのユトレヒト出身かと思いきや、ベルギーのアントワープ出身だそうです。また、このように果物や野菜など、静物画に特化した画家だそうです。
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流石に、これを1つ1つ、何なのかを確認する元気はありませんでした。でも、基本的に16世紀〜17世紀の作品のようですね。
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1625〜50年頃にイタリアで造られた、ドラゴンの形をした容器。
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前ページでも登場した、ヘンドリック・コルネリス・ブルーム(Hendrik
Cornelisz Vroom/1566〜1640年)が1629年に描いた「ハールレメルメールの戦い」。1573年5月にオランダのハールレメルメール(ハーレマーメール/Haarlemmermeer)で、オランダとスペインが戦ったもので、オランダ独立戦争の一環です。
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オランダの風景画家、Willem Schellinks(1627?〜78年)が1668年に描いた「チャタムの攻撃」(Attack
on Chatham)。チャタムの戦いは、第二次英蘭戦争中の1667年6月に、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)がイングランド王国に対して急襲を仕掛けたもので、オランダが勝利。
間もなくブレダの和約が結ばれ、第二次英蘭戦争は終結しました。
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17世紀後半のオランダの戦艦ウイリアム・レックス号の模型。Adrian
de Vriend(?〜1698年)による、1698年の作品です。
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こちらは図書室の風景。研究者が利用できる感じで、古い書物が所狭しと並んでいます。
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展示室の一角に設けられた、1794年にオランダのハーレムに建てられた、ウィデム・フィリップ・コップスの応接室を移築復元したもの。こんな展示もあるとは、恐るべし。
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ドイツの家具職人、アブラハム・レントゲン(1711〜93年)の机。フロアガイドに「レントゲンの机だよ!」と写真付きで紹介されていたので、てっきりX線を発見したヴィルヘルム・レントゲンと思っていたのですが、違いました。
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こちらもバルトロメウス・ファン・デル・ヘルスト(Bartholomeus
van der Helst 1613〜70年)による、「Banquet at the Crossbowmen's Guild
in Celebration of the Treaty of Munster」という1648年の作品。
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こちらは、フランス・ハルス(Frans Hals 1582頃〜1666年)と、Pieter
Codde(1599〜1678年),による「Millitia Company of District 11 under
the Command of Captain Reynier Reael」、通称「The Megre Company」という1637年の作品。
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こちらは、フランス・ハルス(Govert Flinck 1615〜1660年)と、Pieter
Codde(1599〜1678年),による「Millitia Company of District [ under
the Command of Captain Albert Bas」という1645年の作品。
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さて、集団肖像画の雰囲気は大体解っていただいたと思いますが、同じ描き方でも一石を投じたのが、レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(1606〜69年)でした。アムステルダム国立美術館内でも特に有名な作品である、こちらの「夜警(Night
Watch)」という1642年の作品。
登場人物の大きさもバラバラで、スポットライトを浴びている人物もいれば、小さく暗く描かれている人もいます。集団肖像画に、更なる芸術性を加えたわけですが、小さく描かれた人からすれば、「なんで!?」となったことでしょう。
ちなみに、より適切なタイトルは「フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊」(De
compagnie van kapitein Frans Banning Cocq en luitenant Willem
van Ruytenburgh) というそうで、市民隊(火縄銃手組合による市民自警団)が出動する瞬間を描いた「昼の情景」です。変色して暗くなっただけで、夜ではないそうです!
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ちなみにこちら、レンブラントらしき人物が描かれているそうです。
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一方、コピーが別に展示されています。見比べていただければわかりますが、左の部分が異なっていますね。
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実は1715年、火縄銃手組合大ホールから既にご紹介しましたダム広場のアムステルダム市役所(現・王宮)へ移す際、展示場所の柱と柱の間に「夜警」が上手く入らなかったため、上下左右を切断し、特に左側が大きく失われたものです。ただし17世紀に模写が描かれているため、当初の様子をうかがい知ることができるとか。
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もちろんレンブラントは一般的な集団肖像画も描いています。こちらは、アムステルダムの織物商組合の見本調査官たち(The
Wardens of the Amsterdam Draper's Guild , Known as 'The Syndics'という、1662年の作品。レンブラントの活動末期の作品で、5人の見本調査官たちと無帽の秘書の、私的な会議の場面を描いています。ちなみに、左から3人目が議長。
展示場所の関係で、見上げてこの絵を見ることを意識した遠近法を採用しており、見本調査官たちの視線が、まるでこちらと目を合わせたような気分になる、なかなか計算された作品なのが特徴です。
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レンブラントが1626年に描いたTobit and Anna
with the Kidという作品。
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レンブラントが1630年に描いたJeremiah Lamenting
the Destruction of Jerusalemという作品。
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レンブラントが1631年に描いたAn old Woman
Reading , Probably the Prophetess Hannahという作品。
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レンブラントが1638年に描いたLandscape with
a Stone Bridgeという作品。風景画ですね〜。
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こちらはレンブラントが息子ティトゥスを描いた、「Rembrandt's
Son Titus in a Monk's Habit」という1660年の作品。
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こちらはレンブラントの自画像。1661年の作品です。
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たまには美術館内部の様子を。奥に飾られているのが「夜警」。その大きさ、多少伝わりますでしょうか?
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レンブラントと並んで必見なのが、ヨハネス・フェルメール(1632〜75年)の作品たち。まず、非常に有名なこちらの絵は「牛乳を注ぐ女」。1658〜60年の作品で、フェルメールの作品の中で唯一、女中を単独で描いたものだそうです。
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こちらは青衣の女という、1663〜64年頃の作品。光が差し込む様子はほかのフェルメールの作品と共通ですが、窓が描かれていないのが特徴です。
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最後に、「恋文」という1669年か1670年頃の作品。手紙と楽器(シターン)を持つ女性と、何やら訳知り顔の女中が描かれています。
背後の壁に掛かる海の景色を描いた絵は、女性の揺れ動く心を象徴しているなど、様々な示唆に富み、見る人の想像を掻き立てる作品なのが特徴です。
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この原稿を書きながら美術史の勉強をしているような感じですが、まだまだ展示品は続きます。こちらは、東インド会社で活躍したプリンス・ウィレム号の模型。17世紀オランダ最大の木造帆船です。
ちなみに今は無き長崎オランダ村が、1985年にオランダに発注して実物大で復元。その後、オランダ村を所有していたハウステンボスの経営不振でオランダの企業に売却されました。ところが、2009年7月30日に係留先のオランダ北部デンヘルダーで火災を起こし、ほぼ全焼してしまいました。電気系統のショートが発火原因だとか・・・。
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こちらは1635〜45年に京都で造られた蓋付きの大きな箱。美しい蒔絵が施されていますね〜。
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こちらはHendrik van Schuylenburgh(1620年頃〜89年)が1665年描いた「The
Trading Post of the Dutch East India Company in Hooghly, Bengal」という作品。東インド会社のベンガル地方のHooghlyに置いた交易拠点の様子、ということですかね。
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こちらは、Andries Beeckman(?〜1664年)が1661年に描いた「The
Castle of Batavia」という作品。バタヴィア はインドネシアの首都ジャカルタのオランダ植民地時代の名称です。
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こちらは1575年〜1625年頃に造られた日本製のトランク。でかっ!
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こちらはHendrik Cornelisz Vroom(1566〜1640年)が1599年に描いた「The
Return to Amsterdam of Second Expedition to the East Indeis」という作品。Expeditionは、遠征という意味です。
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こちらは、ヤン・リーフェンス(1607〜74年)が1628年に描いた、レンブラントの肖像画。リーフェンスは、1626〜31年まで、レンブラントと共同で工房を構えていました。
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