初代オランダ国王ウィレム1世(1772〜1843年/在位:1815〜40年)の肖像画。Joseph
Paelinck (1781〜1839年)が、1819年に描いたものです。
ウィレム1世はオランダ(ネーデルラント連邦共和国)最後の総督オラニエ公ウィレム5世の息子で、ナポレオンによるオランダ侵攻に伴いイギリスに亡命。ナポレオン失脚後、1815年にオランダ王国(ネーデルラント連合王国)が成立することに伴い、現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルクを領有する国王となりました。
ちなみに彼の治世下である1830年、ベルギーで革命がおこり、ネーデルラント連合王国から独立しています。
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その息子で第2代オランダ国王、ウィレム2世(1792〜1849年 在位:1840〜49年)の肖像画。ジャン・アダム・クルーゼマン(1804〜62年)による1839年の作品です。僅か9年の在位ですが、江戸幕府に対し、アヘン戦争後の1844年に、開国を勧告する内容の国書を送付しますが、拒否されています。ちなみに、当時の将軍は徳川家慶。
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1819年に造られた食器セット。ロシア女帝が云々とかフランスで展示云々・・・とか書いてあるので、とにかく王室で使わる立派なもののようですね。
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1823年にフランシスコ・デ・ゴヤ(1746〜1828年)という、有名なスペインの画家が描いたDon
Ramon Satue という肖像画。
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Jan Willem Pieneman(1779〜1853年)による、「ワーテルローの戦い」
ワーテルローの戦いは、1815年6月18日にイギリス・オランダ連合軍及びプロイセン軍が、フランス皇帝ナポレオン1世率いるフランス軍をベルギーのワーテルローで破った戦いで、エルバ島から帰還して皇帝に返り咲いた、ナポレオンにとって最後の戦いとなりました。
ちなみに、中央の馬に乗った人物がイギリスの軍人で、戦いを主導した初代ウェリントン公爵・アーサー・ウェルズリー(1769〜1852年)。後ろに息子たちを従えています。
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こちらの二挺ペアになったピストルは、ワーテルローの戦いでナポレオンが使用した(かもしれない)もの。ナポレオンの道具箱を戦いの後に回収した時、その中にあったそうです。
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ルイ・ボナパルト(1778〜1846年)の肖像画。チャールズ・ハワード・ホッジス(1764〜1837年)が描いたものです。短い間ですがオランダ国王として、兄ナポレオン1世より送り込まれ、オランダ人のために尽力して更迭されてしまった人物であることは、前述しました。ちなみにオランダにとっては、初の「国王」という存在です。
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こちらはナポレオン1世の肖像画。ジェラード男爵フランク・パスカル・サイモン(Francois
Pascal Simon, Baron Gerard 1770〜1837年)による1805〜15年の作品です。
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こちらは1808年にルイ・ナポレオンがパリで注文し、アムステルダムに持ってきたフォルテピアノ(ピアノフォルテ)。
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ここからは集団肖像画の世界へ。オランダでは特に流行したもので、特定の人物を描くのではなく、複数の人物を平等に描く様式です。要するに、集合写真みたいな感じで発注して、みんなの記念にしたわけですね。お支払いも描かれた人たちで分担すれば、一人あたりは安く済みますし。オランダで流行したというのがミソで、当時は国王もおらず、商人の国だったことが影響しています。
まずは、バルトロメウス・ファン・デル・ヘルスト(Bartholomeus van der Helst 1613〜70年)による「Millitia
Company of District [ under the Command of Captain Roelof
Bicker」という1643年の作品。
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こちらもバルトロメウス・ファン・デル・ヘルスト(Bartholomeus
van der Helst 1613〜70年)による、「Banquet at the Crossbowmen's Guild
in Celebration of the Treaty of Munster」という1648年の作品。
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こちらは、フランス・ハルス(Frans Hals 1582頃〜1666年)と、Pieter
Codde(1599〜1678年),による「Millitia Company of District 11 under
the Command of Captain Reynier Reael」、通称「The Megre Company」という1637年の作品。
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こちらは、フランス・ハルス(Govert Flinck 1615〜1660年)と、Pieter
Codde(1599〜1678年),による「Millitia Company of District [ under
the Command of Captain Albert Bas」という1645年の作品。
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さて、集団肖像画の雰囲気は大体解っていただいたと思いますが、同じ描き方でも一石を投じたのが、レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(1606〜69年)でした。アムステルダム国立美術館内でも特に有名な作品である、こちらの「夜警(Night
Watch)」という1642年の作品。
登場人物の大きさもバラバラで、スポットライトを浴びている人物もいれば、小さく暗く描かれている人もいます。集団肖像画に、更なる芸術性を加えたわけですが、小さく描かれた人からすれば、「なんで!?」となったことでしょう。
ちなみに、より適切なタイトルは「フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊」(De
compagnie van kapitein Frans Banning Cocq en luitenant Willem
van Ruytenburgh) というそうで、市民隊(火縄銃手組合による市民自警団)が出動する瞬間を描いた「昼の情景」です。変色して暗くなっただけで、夜ではないそうです!
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ちなみにこちら、レンブラントらしき人物が描かれているそうです。
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一方、コピーが別に展示されています。見比べていただければわかりますが、左の部分が異なっていますね。
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実は1715年、火縄銃手組合大ホールから既にご紹介しましたダム広場のアムステルダム市役所(現・王宮)へ移す際、展示場所の柱と柱の間に「夜警」が上手く入らなかったため、上下左右を切断し、特に左側が大きく失われたものです。ただし17世紀に模写が描かれているため、当初の様子をうかがい知ることができるとか。
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もちろんレンブラントは一般的な集団肖像画も描いています。こちらは、アムステルダムの織物商組合の見本調査官たち(The
Wardens of the Amsterdam Draper's Guild , Known as 'The Syndics'という、1662年の作品。レンブラントの活動末期の作品で、5人の見本調査官たちと無帽の秘書の、私的な会議の場面を描いています。ちなみに、左から3人目が議長。
展示場所の関係で、見上げてこの絵を見ることを意識した遠近法を採用しており、見本調査官たちの視線が、まるでこちらと目を合わせたような気分になる、なかなか計算された作品なのが特徴です。
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レンブラントが1626年に描いたTobit and Anna
with the Kidという作品。
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レンブラントが1630年に描いたJeremiah Lamenting
the Destruction of Jerusalemという作品。
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レンブラントが1631年に描いたAn old Woman
Reading , Probably the Prophetess Hannahという作品。
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レンブラントが1638年に描いたLandscape with
a Stone Bridgeという作品。風景画ですね〜。
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こちらはレンブラントが息子ティトゥスを描いた、「Rembrandt's
Son Titus in a Monk's Habit」という1660年の作品。
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こちらはレンブラントの自画像。1661年の作品です。
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たまには美術館内部の様子を。奥に飾られているのが「夜警」。その大きさ、多少伝わりますでしょうか?
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レンブラントと並んで必見なのが、ヨハネス・フェルメール(1632〜75年)の作品たち。まず、非常に有名なこちらの絵は「牛乳を注ぐ女」。1658〜60年の作品で、フェルメールの作品の中で唯一、女中を単独で描いたものだそうです。
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こちらは青衣の女という、1663〜64年頃の作品。光が差し込む様子はほかのフェルメールの作品と共通ですが、窓が描かれていないのが特徴です。
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最後に、「恋文」という1669年か1670年頃の作品。手紙と楽器(シターン)を持つ女性と、何やら訳知り顔の女中が描かれています。
背後の壁に掛かる海の景色を描いた絵は、女性の揺れ動く心を象徴しているなど、様々な示唆に富み、見る人の想像を掻き立てる作品なのが特徴です。
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この原稿を書きながら美術史の勉強をしているような感じですが、まだまだ展示品は続きます。こちらは、東インド会社で活躍したプリンス・ウィレム号の模型。17世紀オランダ最大の木造帆船です。
ちなみに今は無き長崎オランダ村が、1985年にオランダに発注して実物大で復元。その後、オランダ村を所有していたハウステンボスの経営不振でオランダの企業に売却されました。ところが、2009年7月30日に係留先のオランダ北部デンヘルダーで火災を起こし、ほぼ全焼してしまいました。電気系統のショートが発火原因だとか・・・。
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こちらは1635〜45年に京都で造られた蓋付きの大きな箱。美しい蒔絵が施されていますね〜。
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こちらはHendrik van Schuylenburgh(1620年頃〜89年)が1665年描いた「The
Trading Post of the Dutch East India Company in Hooghly, Bengal」という作品。東インド会社のベンガル地方のHooghlyに置いた交易拠点の様子、ということですかね。
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こちらは、Andries Beeckman(?〜1664年)が1661年に描いた「The
Castle of Batavia」という作品。バタヴィア はインドネシアの首都ジャカルタのオランダ植民地時代の名称です。
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こちらは1575年〜1625年頃に造られた日本製のトランク。でかっ!
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こちらはヘンドリック・コルネリス・ブルーム(Hendrik
Cornelisz Vroom/1566〜1640年)が1599年に描いた「The Return to Amsterdam
of Second Expedition to the East Indeis」という作品。Expeditionは、遠征という意味です。
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帆船模型コレクション。ホームページのネタになると思って、気合を入れて撮影しようとしたところ、どの模型がどの船化は、タッチパネルで調べる方式だったので、諦めました。某所員へのお土産になると思ったのですが、スミマセン・・・元気がもうありませんでした。
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こちらは武器コレクション。もはや、何が何なのか良く解らず、こちらも適当に流します。
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1700年にドイツのドレスデンで造られたと推定される猟銃。
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1600〜25年にオランダのホールンで造られた火縄銃。
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こちらは1784〜1809年にアムステルダムで造られたカップとソーサー(受け皿)。
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1750〜70年にオランダのデルフトで造られた皿。デルフト陶器として名高いもので、オランダ東インド会社を通じて中国から磁器が伝わり陶器の製作が発達し、さらに日本の伊万里焼も輸入の影響で参考にされ、発展しました。
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こちらもデルフト陶器で、青を用いて彩色されたものは、デルフトブルーとして親しまれています。
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いやあ、英語の解説や英語のホームページともにらめっこしながら、展示品の由来を調べていきましたが、大変な作業でございました。さて、この日は撮影をこれにて終了し、駅前で食事に行きます。
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ステーキハウスと書いている店が多かったので、初日のネタはステーキだ!と突撃。ステーキは何グラムか詳細に選べますが、日本のファミリーレストランと異なり肉オンリー。一方、ライスという文字に早速ホームシックになり、注文。日本のコメとは違い、パサパサですが、味付けはバターライス。味は濃すぎず、薄すぎず、非常に美味しかったです。
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