2022年3月9日 3月改正を前にした栃木の鉄道撮影とVSE江ノ島線


1月に栃木県内でJRや東武を色々と撮影しましたが、撮影出来なかったネタや宇都宮線の205系も黒磯周辺では撮影していなかったと思い、3月のダイヤ改正直前に再出撃。今回はまず、宇都宮駅からスタートします。


宇都宮駅東口では、LRTであるライトラインの建設作業が大詰めを迎えているほか、大型複合施設「ウツノミヤ テラス」と、2000人収容の大ホールを備えた宇都宮駅東口交流拠点施設「ライトキューブ宇都宮」の建設が進んでいました。宇都宮はJRの東口が随分と活気あふれる感じになって来ましたが、一方で東武宇都宮駅周辺は・・・?


黒磯行きの205系宇都宮線。

EV-E301系とヘッドマーク付きの205系。

新鋭車両のE131系も留置されていました。3月改正で車両が新しくなる一方で、減便と両数削減でラッシュ時の混雑が大変なことになっているようですが、これでは益々利用者が減るのでは…。

さて、日光線に乗車すると1月に続いて2回目の乗車となる「いろは」でした。

観光対応の車両として古地図や「いろは」の紹介も。せっかく、観光の記念となる素敵な車両が誕生したのに、まさか4年で姿を消すとは…。

さて、文挟駅で列車交換を行いますが、宇都宮行きの205系は宇都宮線カラーでした。

今市駅で下車し、徒歩で東武の下今市駅へ向かいます。

途中、観覧車付きの商業施設を発見。2021(令和3)年4月1日に開業した日光ランドマークという場所でした。昔は長崎屋、ショッピングプラザ日光があったのだとか。


続いて今市追分地蔵尊と杉並木が見えてきました。


今市追分地蔵尊(石造 地蔵菩薩坐像)は、JR日光線の今市駅と東武日光線・鬼怒川線の下今市駅との間に位置する例幣使街道と日光街道の分かれる所(追分)に設置された丸彫坐像の石地蔵。


制作時期は明らかではありませんが、室町時代と考えられており、江戸幕府第8代将軍である徳川吉宗が日光社参を行った際には、現在地にあったと記録されています。像の高さは2.9m(うち頭長70cm)、肩幅1.4mで、日光市指定文化財です。

杉並木は徳川家康、秀忠、家光の3代にわたって仕えた松平正綱(1576〜1648年)が、20年余りの年月をかけて20万本以上もの杉を植樹したもので、家康の33回忌の年に日光東照宮の参道並木として寄進しました。現在は約1万2500本が日光街道・例幣使街道・会津西街道沿いにそびえ立っています。

さて、下今市駅へ到着。

なかなか出会えなかった北斗星塗装のDE10 1109号機。ようやく撮影出来ましたが、営業運転には入っていませんでした。

「SL大樹ふたら」が入線してきました。本日は1月の撮影時と異なり、2基の前照灯が特徴であるC11 207号機が東武日光に向けて牽引します。

そして客車はこちらの編成。1月には撮影出来なかったオハテ12 2をゲット。JR四国から譲渡されたオロ12 10を改造したもので、塗装は青色15号。窓下へ国鉄の2等車に使用されていた緑帯を配しています。

下今市方はDE10 1099号機。これだけ見ると、東武鉄道の路線というのが信じられませんね。

こちらは北関東ローカル運用の主として定着した感のある20400型。

ワンマン運転開始を前に単純な「普通 東武日光」の表示を記録しておきます。


最近のフルカラーLED表示は綺麗で良いですね。

続いて東武100系スペーシア「雅」編成による特急「けごん」を撮影。

こちらは日光詣スペーシア塗装の特急「きぬ」。

続いて6050系がやって来ました・・・が、お目当ての旧6000系を模したリバイバルツートンカラー編成ではなく・・・。

そして留置線に回送されてきました。やむを得ず次のネタを求めて栃木駅方面へ向かいます。

お目当てだったリバイバルカラー編成は南栗橋車両管区 新栃木出張所でお休み中でした。

そして新栃木駅で下車し、最後のあがきで南栗橋車両管区 新栃木出張所付近を歩きますが、6050系リバイバルカラーを撮影出来る場所はありませんでした…。無駄足。

栃木市は時折通りますが、久しぶりに古い町並みを散策してみることに。といっても次のネタまでの時間が僅かなので駆け足ですが・・・栃木市嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区を歩きます。ここは旧日光例幣使道に沿って見世蔵や土蔵をはじめとする江戸末期から昭和前期頃にかけての伝統的建造物が残ります。


舘野家店舗。住宅主屋とともに1932(昭和7)年築で国の登録有形文化財です。

相良家

岡田記念館南館

引き続いて岡田記念館。このエリアを開拓し、代々の当主が嘉右衛門を襲名した岡田嘉右衛門の屋敷を一般公開した施設で、現在も岡田家が保有しています。

畠山家栃木陣屋。旗本である畠山家は、この場所の支配のために岡田家を郷代官としていました。

岡田記念館内にある市村理髪館。1871(明治4)年に開業し、1989(平成元)年まで営業。建物や椅子、鏡、はさみなどが創業時のまま残されて貴重であることから、理容遺産に認定されています。

平澤商事

こちらは1913(大正2)年建築の栃木病院。

他にも見る建物があったのですが、とにかく次のネタに間に合わなくなるので栃木市中心部を南下。栃木市役所周辺も古建築が数多く残り、気が抜けません。まずは1861(文久元)年築の下野新聞社栃木支局。国登録有形文化財で、もとは「毛惣」で知られた肥料商の2代目毛塚惣八が建設した見世蔵です。

1934(昭和9)年築の旧足利銀行栃木支店(現・蔵の街ダイニング蒼)。国登録有形文化財です。

明治初期築の「山本有三ふるさと記念館」。南棟と増築された北棟から成り、屋根を共有しています。南棟の2階は観音開扉を有しているのが特徴ですね。

1904(明治37)年築の「とちぎ蔵の街観光館」。もと「八百金」の名で知られた荒物・麻苧問屋田村家の店舗です。

明治中期築の佐藤家住宅店舗(現・北蔵カフェひがの)。切妻造・平入、総2階建、正面下屋庇付で、軒は出桁造。外壁は黒漆喰塗です。


1922(大正11)年築の関根家住宅店舗。明治から昭和初期まで煙草卸売商を営んでいたもので、タイル張2階建,桟瓦葺。正面と両側面のパラペットを高く上げ、正面壁面は柱、縦長窓、装飾などを左右対称に配しています。国登録有形文化財です。


明治中期築の五十畑荒物店店舗。糸綿商佐山家が建築したもので、五十畑家は1923(大正12)年創業です。国登録有形文化財です。

いずれも古そうな建築ですが、中でも毛塚紙店店舗は1908(明治41)年築で、国登録有形文化財。江戸中期より紙商を営んだ老舗で、黒漆喰塗、出桁造で3重蛇腹の軒、高い箱棟など、重厚な意匠の見世蔵。さて、これ以外にも古建築が多数あるのですが、後ろ髪を引かれる思いで次のネタへ。



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