| Keifuku Electric Railroad Co., |
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京福電鉄は1910(明治43)年3月、今の大宮周辺にあたる朱雀野村と今の嵐山に当たる嵯峨野村の間に開通した嵐山電車軌道をはじまりとする。1918年4月に京都電灯と合併。1926年3月に北野線北野駅‐帷子ノ辻が開通し、今の路線の基盤が完成し、さらに1928年には嵐山本線を複線化し、さらに福井県でも鉄道路線を開通させた。
京都電灯が解散すると、1942年3月に京福電気鉄道が独立。 現在、北野線(帷子ノ辻〜北野白梅町)、嵐山本線(四条大宮〜嵐山)を持つ。また、愛称は「嵐電(らんでん)」。一部は路面区間を走ることもあり、路面電車として分類されることも多い。 なお、福井県では越前本線、三国芦原線、永平寺線も運営していたが2度にわたる列車同士の衝突事故を起こし、運行停止処分に。京福電鉄は事業存続を断念し、2003年7月20日より、第三セクターの「えちぜん鉄道」が運行を引き継ぎ、永平寺線はひっそりと廃止になっている。 |
1994(平成6)年に2両登場した、平安遷都1400年記念車両。開業当時の嵐山線の車両をイメージとし、車内はケヤキ調の木目で統一。ちなみに、26形は金、27形は銀のラインが入っている。
(撮影:ちゃけ様) |
1929(昭和4)年登場の車両がルーツ。藤永田造船所(!)で製造された車両で、1968〜70年に台車を更新。さらに、1975年にモポ301形と同じ車体に更新されている。
(撮影:ちゃけ様) |
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生茶の広告車両。
(撮影:ちゃけ様) |
井筒八つ橋の広告車両。
(撮影:ちゃけ様) |
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「お漬け物のもり」の広告車両。
(撮影:ちゃけ様) |
1971(昭和46)年に造られた車両で、最初はポール集電だった。2両しか造られなかった車両。
(撮影:ちゃけ様) |
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ワンマン運転に適した車両として造られた車両で、4両が製造された。しかし、扉が中間寄りにあるという他の車両とは違う構造のために廃車が進み、残り2両となっている。
(撮影:ちゃけ様) |
塗装がやや異なる502形。
なお、モポ501形は京福電鉄の車両で初めて方向幕を装備した車両。 (撮影:ちゃけ様) |
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1992年・1994年に製造された車両。モボ111形の機器を流用したのでモボ611形という形式をもらっている。
(撮影:ちゃけ様) |
1990年、1995年、1996年の3期に分けて、モポ121形の機器を流用して誕生。そのため形式がモポ121に。最初に登場した車両は、このあとの京福電鉄(嵐電)の標準スタイルを確立。
(撮影:ちゃけ様) |
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1995(平成7)年・1996(平成8)年に製造された車両。一部機器をク201形の機器を流用。
(撮影:ちゃけ様) |
2000(平成12)年と2001(平成13)年に1両ずつ製造。モボ501形を置き換えるために造られた車両で、毎年1両のペースで増備される予定だったが、03年、04年での増備は無いとか・・・。
(撮影:ちゃけ様) |
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現在は一部が、えちぜん鉄道の車両として再活用。
(撮影:雑学の博物館) |