第16回 モンゴル・元代の文化

○ヨーロッパからも人が来た

 元代は、これまでになく国際性豊かな文化が花開きました。ヨーロッパとのつながりも出来ます。前述のように、対イスラム教の観点から、ローマ教皇はプラノ=カルピニ(1182頃〜1252年)、それからモンテ=コルヴィノ(1247〜1328年 カトリック教を初めて中国で伝える)を、フランス王国のルイ9世(位1226〜70年)はルブルック(1220頃〜93頃)を使節として派遣します(ちなみに、ルイ9世は十字軍としてイスラム征討に情熱をかけた王である)。

 また、イタリアにあるヴェネツィア共和国の商人マルコ=ポーロ(1254〜1324年)は、フビライに仕え、元のあちこちを回ることになり様々なことを見聞します。彼は、17年間フビライに仕え帰国します。ところが、ヴェネツィアと、ジェノバという都市国家どうしによる戦争で捕虜となり、幽閉されます。この時、囚人達に語り、それが同じ獄にいた作家のルスチケロにより「世界の叙述(日本では東方見聞録と呼ばれる)」として著述されます。この本は、ヨーロッパ社会において東方への憧れをかき立て、大航海時代へとつながらせた歴史的な作品です。

 しかし、マルコ=ポーロという人物の存在は謎に包まれており、元の記述に全くでてこないことから、架空の人物かとも言われています。また、マルコ=ポーロという名前は、日本で言えば中山一郎のようなもので、ペンネームではないかとか、いろいろな人物が見聞したことをまとめたなど様々な説があります。まあ、マルコがいようがいなかろうと、この本が多くのヨーロッパ人を大航海にかき立てたことに変わりはありません。

 その他には、モロッコ出身の大旅行家イブン=バットゥータ(1304〜68年?)も訪れています。彼は、インドから東南アジア、中東、アフリカ、ヨーロッパを巡るという、恐ろしい距離を旅行しました。

 それから、天文学・数学でイスラム世界のものが伝わってきます。そのため、イスラム世界で使われていた観測機器を利用して、郭守敬(1231〜1316年)は暦法の改革を行い、授時暦を作成します。日本では、江戸時代に貞享暦として使用されます。一方で中国絵画はイル=ハン国に伝わり、細密画(ミニアチュール)に大きく影響を与えます。

 もう一つ、この時代の文化として特徴的なことは、文化が庶民に根付いたことです。それまで文化は、上流階級の人々だけが共有するものでしたが、漢民族の文化人達が出世できなかったため、図らずも民間に根付く文化が登場したのです。戯曲・小説が発達し、特に戯曲の一種である「元曲」は、中国文学上重要なものです。孫悟空などが登場する『西遊記』がその代表です。また、小説では『三國志演義』『水滸伝』が書かれました。

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