第6回 偉大なるギリシャ文化

 ここからは、ギリシャの文化について見ていきます。ギリシャ文化は後世に多大な影響を与えた文化として、しっかり見ておかなくてはなりません。
 まずは宗教。ギリシャは日本と同じく多神教、すなわち何人も神様がいる宗教でした。元々は、ただ先祖代々のしきたりに従い祭儀を行っただけで、具体的な教義はありませんでした。ところが、前8世紀頃から神の像、そしてそれを祭る大きな神殿も出来上がってきました。なぜ、突然造り始めたのでしょうか?

 それは、おそらく交易を通じてオリエントやエジプト地域から「なるほど、神は建物を造って祭れば良いんだ」と知識を仕入れたからだと考えられています。特に、エジプトと言えばピラミッドですよね。あそこから神殿(というか巨大建造物)を造ればいいという発想を得ることは想像に難くないでしょう。

 さて、その神様。オリンポスの十二神と総称されまして、以下のようになっております。特にラテン語を英語読みしましたものだと聞いたことのある名前も多いですね。で、大体、ミケーネ時代から全部というわけではありませんが信仰されていたようです。

ギリシャ名 ラテン名
(英語読み)
属性
ゼウス
ヘラ
ポセイドン
ヘスチア
デルテル
アレス
アポロン
ヘファイストス
ヘルメス
アテナ
アルテミス
アフロディテ
ジュピター
ジュノー
ネプチューン
ヴェスタ
セレス
マルス
アポロ
ヴァルカン
マーキュリー
ミネルヴァ
ダイアナ
ヴィーナス
主神 天、雷、風雨を支配する
ゼウスの妻 結婚と生産の神
ゼウスの兄弟で海の神
ゼウスの姉妹で「かまど」と家庭の神
ゼウスの姉妹で農業と土地の神
ゼウスの息子で軍神
ゼウスの息子で太陽と芸術の神
ゼウスの息子で火と鍛冶の神
ゼウスの息子で商業と雄弁の神
ゼウスの娘で戦争と平和・知識の神
ゼウスの娘で月と狩猟の神
ゼウスの娘で美と愛の神

 ちなみに、このうちポセイドン。海の神様として今でも有名ですが、元々は馬の神様だったという説もあります。これは、ミケーネ人達が元々インド=ヨーロッパ語族で、馬に乗ってこのギリシャまで移動してきて、馬のイメージを海に託しましたというのです。

 そして、それを祭るお祭りがオリンピアの祭典。いわゆる古代オリンピックです。前776年に開始され、同時にこの頃から年を言う時に、「第○回オリュンピアの何年」と呼ぶようになります。同時にこのオリュンピアはとかく紛争の多い各ポリス間交流の場でもありましました。

○文学・美術

 以下、文でだらだら書くより表にしました方が解りやすいので・・・。にしても、具体的な内容が解ると、文化のコーナーも面白いですね。教科書や資料集では1行コメントみたいな感じで紹介されていて、面白くないでしょ?  まずは前8〜6世紀。ギリシャ人が海外に植民を始めた頃から、貴族制が打倒され始める頃です。
 これを前古典期と分類するそうです。

文学 ホメロス 前8世紀  トロヤ戦争を題材にした口承叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」が代表作。これが長く語り継がれ、シュリーマンの発掘につながったのは有名ですね。
  ヘシオドス 前700年頃  勤労の貴さについて語った「労働と日々」。ここでは貴族の傲慢を糾弾し、勤労することは決して恥ではないと書きます。つまり、この頃は奴隷だけに仕事を押しつけるのが常識ではなかったということ。
 また、神々の系譜をまとめた「神統記」も著す。宇宙の開闢(かいびゃく)として、まず原初はカオスだったと説き、そしてオリュンポスの神々の誕生などを書く。
  サッフォー 前612年頃〜?  女性の詩人で、情熱的な恋愛の詩を多く書きました。現存する彼女の詩は少ないですが、、彼女が使った詩の形式はその後多くの詩人に好まれ使用されました。
  アナクレオン 前560年頃〜?  酒と恋を詠った詩を多く書く。機知に富んだものが多い。
  ピンタゴス 前518〜前438年  競技に勝利しました喜びの詩を多く書く。
自然哲学 タレス 前624頃〜前546年頃  万物の根源(アルケー)は水であるとしました。つまり、水が希薄化することで土などになりますということ。彼は、自然哲学(自然はどのように成り立ち、そして運動するのかの真理を追究する)の祖である。また、1日を365日に分けました。
  ピタゴラス 前582頃〜前497年頃  万物の根源は数であるとしました。また、魂の輪廻を説きピタゴラス教団を結成。特にピタゴラスの定理(三平方の定理。直角三角形の斜線の2乗は、他の2辺の2乗どうしの和と等しい)が有名ですが、彼は数学者ではないらしいことが最近の研究で解っています。
  ヘラクレイトス 前544年頃〜?  万物の根源は火であるとしました。「万物は流転する」が有名な言葉。あらゆるものは、散らばってはまた集まり形成され・・と考えた。また、世界は神や人が作ったものでは無いとも主張します。
  デモクリトス 前460頃〜前370年頃  万物の根源は原子であるとしました。すべてのものは原子が離合集散して出来上がるのだ、と。 これは後代に実証され、近代化学の中心思想として復活することになります。このように、自然哲学とは、どちらかといえば科学の領域に入ります。
美術      アルカイック=スマイル(ちょっと微笑しました顔をしているのが特徴)の像が沢山造られます。写真があると良いのですけどね・・・。

次に、前5〜4世紀の古典期。ペルシャ戦争の前後ですね。にしても、なんだか倫理の勉強になってきた・・・。

文学(悲劇) アイスキュロス 前525〜前456年  「アガメムノン」などの著作で、神々への信仰と道徳的理想を追求。
  ソフォクレス 前496頃〜前406年  「オイディプス王」などで人間の運命・生き方・真理を追究。
  エウリピデス 前485頃〜前406年頃  「メディア」で人間の偉大さと悲惨さを追求。以上、悲劇というジャンルは、悲しい劇というより真理を追究する哲学的テーマを持った劇というのがおわかりでしょうか。
文学(喜劇) アリストファネス 前450頃〜前385年頃  「女の平和」「雲」などで、社会風刺の作品を多く残す。喜劇とは、風刺の事ね。「女の平和」では、ペルシア戦争での反戦をテーマにしました。人が死ぬことは悲しいことだと。
ソフィスト哲学 プロタゴラス 前485頃〜前415年頃  ソフィストとは市民に教養を目的とする「人間は万物の尺度」と人間中心主義を唱えた人達。その後ヨーロッパではこういった考え方が主流を占めたため、自然破壊などが多く行われます。
 一方で彼は、価値観は人それぞれだから、法律や習慣などは人や国によって異なりますと訴えた。そういったことの一環として、神がいるかいないか信じるのは人それぞれと言って、国外追放され、船が難破して死亡しました。
 また、ソフィスト学派は弁論術を非常に重視しました。そのため、ウソでもいいから相手を打ち負かすことが正しい、という詭弁に陥ることになります。
アテネ哲学 ソクラテス 前469頃〜前399年  「無知の知」、すなわち自分は何も知らないということを悟り、知を探求することが真理と考えました。また、ソフィスト哲学の弁論を批判し、魂が良くなければ仕方がないではないか!と訴えます。そして、相手と問答を繰り返し真理に近づいていこうと考えました。
 しかし、この考えと問答の手法が反発を生み、「新しい哲学により、青年を腐らせたことを罪として」訴えられて裁判にかけられて処刑されてしまいました。
  プラトン 前427〜前347年  ソクラテスの弟子で、彼の考え、生涯はプラトンがまとめて著述しています(ゆえに、我々が知るソクラテスは、プラトンから見たソクラテスです)。
 プラトンは、世界は真理や理性、本質など感覚があるイデアと、その中から一部だけ借り受けた現実世界の2つに分かれると考えます(二元論)。そして、そのイデア界へのあこがれをエロスとしました。
 一方、彼は政治学の祖でもあります。
 「ソクラテスが処刑されたのは民衆から選ばれた陪審員の判決によるもので、彼は民衆は徳がない。国家はきちんと哲学を身につけた哲人によって政治が行われるべきだ」と考えた(哲人政治)、「国家」という著作を著しました。
 また、前387年にヨーロッパ最初の大学と呼ばれるアカメデイアを設立。天文学や数学、政治学など様々なことを教える。ここからはアリストテレスなどが輩出され、529年に異教の温床地として、東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世に解散を命じられるまで続きます。
 また、プラトンの教えは、キリスト教、イスラム教双方に多大な影響を与え、さらに15世紀のルネサンス期には彼の思想が再び復活しましたし、現在でも彼を評して「西洋哲学史は、プラトンの教えの脚注にすぎない」とまで言う学者もいます。
  アリストテレス 前384〜322年  プラトンの弟子。あらゆる学問の基礎を築いたため、万学の父ともいわれ、哲学よりもむしろ、心理学、動物学、それから政治経済、理論に力を入れました。
 動物学に至っては、ダーウィンが登場するまで主流の考えでしたし、彼の研究は今でも一部が取り入れられています。
 さて、師匠のプラトンはイデアという概念を提唱しましたが、彼はこの考えに反対。あくまで現実主義をとり、そのかわり物は質料(木材や種子など、何かを作るため、もしくは出来るための原料)と、形相(机や花など、形が出来上がったもの)に分けました。
 また、世の中「中庸(極端はいけない)」が大切だとも主張。例えば、臆病と蛮勇の中庸こそ勇気といいます。  この考えに基づき、国家については、一人の王が支配するのは最悪のパターンで、やはり民主制が最も中庸だという。その代わり、やはり極端な民主制も腐敗を招くため、中間層が行うべきだと考えました。
 彼の著作は、前1世紀、講義ノートがアンドロニコスにより整理編纂されただけで大部分が失われています。しかし、それでも多くを読むことが出来るのは彼がいかに数多くを述べたかと言うことを表していますが、どれほど残っているのかなんて、読者も私も解りません(笑)。
 ちなみにアリストテレスの著作の研究は、その後長らく放棄され、9世紀頃からイスラム圏で研究が開始し、その後キリスト教世界にも伝わることになります。
医学 ヒッポクラテス 前480〜前375年頃  医学の父。病気の原因を神や悪魔では無く、環境(飲み水などの衛生環境や、気候)にあるとします。また、医師は病気に関するデータを集めれば、似た病気なら症状の経過を予測できると画期的な意見を述べました。
 さらに、病気を予防するためにはという事も考えた。まさに、古代の迷信から初めて抜け出しました人物です。
歴史学 ヘロドトス 前485〜前425年頃  ペルシア戦争を物語風に語った「歴史」を著しました。この他、彼は歴史を著す時に、人種差別をしないように心がけています。これは当時のギリシャでは希なこと。彼自身、異民族の血が混じっていることが影響していたらしい。
  トゥキュディデス 前460〜前400年頃  こちらは、ペロポネソス戦争について「歴史」という本を著します。科学的、教訓的にこの戦争を検証し、ヘロドトスと違い、物語重視ではありません。
美術 フェイアディアヌス 前490〜430年頃  パルテノン神殿建築総監督。また、アテネ女神像を作りました。  とまあ、こんな感じです。後はギリシャの建築様式。柱で分類され、ドーリア式(安定で荘重。飾りがない。)、イオニア式(軽快で、ちょっとしました装飾)、コリント式(とにかく飾りにこった造り)の3つです。

 う〜む、真面目にやれば文化は奥が深いですね。

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