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○今回の年表 |
| 前43年 | アントニウス、レピドゥス、オクタヴィアヌスによる第2回三頭政治。 |
| 前34年 | アントニウス、エジプト女王クレオパトラ7世と結婚。 |
| 前31年 | アクティウムの海戦で、オクタヴィアヌスがアントニウス・クレオパトラ連合軍を破る。 |
| 前30年 | オクタヴィアヌス、アントニウス・クレオパトラを倒し、エジプトを征服。 |
| 前4年 | (ローマ領シリア) イエス・キリストが誕生する |
| 8年 | (中国) 前漢が滅亡し、新が成立。 |
| 14年 | ティベリウス帝が即位。 |
| 25年 | (中国) 新が滅亡し、劉秀が後漢を建国。光武帝となる。 |
| 30年 | イエス・キリスト、刑死する。 |
| 54年 | ネロ帝が即位。 |
| 57年 | (日本) 倭の奴国王が、後漢の光武帝に使者を送り、金印をもらう。同年、光武帝死去。 |
| 64年 | ネロがキリスト教徒を迫害。 |
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○第2回三頭政治 |
アントニウスは、巧みな弁舌によりブルートゥス達に国賊の烙印を押す事に成功。そして、オクタヴィアヌスと共にこれを討伐し、更に邪魔な元老院・騎士身分の人々を粛清し殺害しました。政治家で雄弁家のキケロもこの時アントニウスによって殺されています。
ところが、アントニウス。オクタヴィアヌスとは領土を巡って対立していた上、オクタヴィアヌスの姉・オクタヴィアを妻としておきながら、クレオパトラと浮気して離婚し子供まで作ってしまう。さらに、カエサルとクレオパトラの子、カエサリオンをカエサルの後継者として承認してしまいます。これでは、養子であるオクタヴィアヌスの正統性が消えてしまいます。
このため、両者の対立は決定的となり戦闘開始。アクティウムの海戦でクレオパトラ・アントニウス連合軍はオクタヴィアヌスに敗北します。これが決定的な打撃となり翌年、彼女たちは自殺し、さらにカエサリオンも殺されました(プトレマイオス朝滅亡)。また、レピドゥスもオクタヴィアヌスに反抗し、失脚。こうして、オクタヴィアヌスがローマの実力者になったのです。彼が34歳の時です。
なお、オクタヴィアは、アントニウスとクレオパトラの子供達全員を育て上げたといわれています。
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○アウグストゥス帝 |
その代わり、彼は様々な役職を兼任する事で実質的に文武の権力を握り、プリンケプス(第一の市民)として政治を行う事にします。いわば、国家代表という事で元首政といわれます。
元老院としても、強いオクタヴィアヌスに対抗する事は得策ではありません。むしろ、共和制を尊重するなら、ということで権限をどんどん与えます。というわけで、オクタヴィアヌスは独裁君主と等しく、ローマは共和政から、実質的な帝政へと移行するのでした。オクタヴィアヌスは、アウグストゥス帝と呼ばれます。またその後、インペラトールの称号ももらい、それはエンペラー(皇帝)の語源となりました。
彼は、属州の人口調査と徴税の徹底、都市の自治の拡大、壮麗な建築造の建物を建築(自分で、レンガのローマから大理石のローマにしたと豪語するほど建築が好きだった)、姦通罪の設定、贅沢の禁止などを行います。
こうして、ローマは彼によって大胆に改革されていきました。ただし、何時の権力者でも失敗するのですが姦通罪にみられるような性の乱れ、それから贅沢、こういったものは、もはや押さえようがありません。だいたい、アウグストゥス自身が2度離婚し、3番目の妻リウィアは人妻でした(もっとも、愛人を作りながらも52年間も添い遂げるし、最初の2度の結婚は政略結婚だった)。問題は、彼は娘が一人いただけで後継者がいなかったことです。
しかも、その一人娘のユリア。彼女は、これまた性関係に奔放な女性で、しかもアウグストゥスが後継者に選んだ人物に嫁がされても夫がすぐに死去。結局最後はリウィアが先夫との間に生んだティベリウスに嫁がされますが、それでも浮気のオンパレード。アウグストゥスは、ローマから彼女を追い出し、2度と入れませんでした。彼女は、アウグストゥスの死後、跡を継いだ夫・ティベリウスに生活費の支援を打ち切られ、栄養失調で死にました。
アウグストゥスの最後はリウィアに看取られながらの死です。
「私は自分の喜劇を、最後まで見事に演じきったと思わないかい?」
それが、彼の辞世の言葉でした。
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○アウグストゥス帝の後継者達 |
ですが、もはやネロに対する不満の渦を押さえることは出来ず、元老院より「国家の敵」とレッテルを貼られ、68年に自殺させられました。ネロは、「世界は偉大な芸術家を失った」と泣きながら死んだといわれています。同時に、ネロが他の対立皇帝候補を殺していたこともあり、カエサル、アウグストゥスの血筋の皇帝は終わりました。
また、この頃からローマ市民は、皇帝に対し楽しみを要求するようになります。それが、「パンとサーカス」です。要は、「タダで食わせろ、タダで面白い事をさせろ」というわけです。そして、働かされるのは奴隷、それから属州というわけです。
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○コロッセオ建設 |
![]() (写真撮影: 無料写真素材 p-fan.net) |
ところで、この直ぐあと、すなわち72年にヴェスパシアヌス帝によって円形闘技場であるコロッセオが着工されました。これは80年、彼の息子ティトス帝によって完成され、その後300年にわたってローマ市民たちの娯楽の場として、血なまぐさい試合が行われます。
その後、ローマは荒廃しますが、外壁をかなり失い、少し不思議な形になりながらも、コロッセオは今も私たちにその姿を見せてくれています。
ところで実を言うと、ここはネロが自分の邸宅をかまえていた場所。その一部をヴェスパシアヌス帝が潰して、ローマ市民たちに提供した、とまあ、こういう筋書きになっているんですな。
ちなみに「円形」と言われますが、実は楕円形。
また、床の部分がボコボコになっているのがお解りかと思いますが、これは本来地下の部分で、上には当然床が張られ、そこで試合が行われていました。