裏辺研究所歴史研究所 > ヨーロッパ史

22回 中世ヨーロッパの都市と農村&大学

○どうせなら自由に交易をしたい

 ところで、 このように都市が発展すると、諸侯・領主は課税対象として重宝するようになり、中には「よしよし、もっと課税してやろう」などと考える者が出てくるのは当然。一方、経済力のある都市側は、「領主なんかなんぼのもんじゃい」と互いに対立が始まります。 そこで考えたのは、諸侯・領主の上にいる国王・皇帝と手を結ぶことです。この国王・皇帝達は、少しでも諸侯や領主の力をそいで、王権を確立したいので、思惑が一致。国王・皇帝は特許状を発行して、都市は合法的に自治権を得ることに成功します。

 この自治権は、地域によって異なります。例えば、イタリア半島では有力な国家が何もなかったので、商人達の都市そのものが、1つずつ共和国として発展。一方、上に神聖ローマ帝国が存在するドイツ・オーストリア地域では皇帝直属の都市になることを選択します。これは、諸侯と同じ地位になったことを意味します。

 それから、 みんなで渡れば怖くない、一緒に国王や海賊から利益を守ろうぜ、ということで都市同士の同盟も結成。有名な例として、北イタリアのロンバルディア同盟、北ドイツのハンザ同盟があります。 この同盟は、政治的・商業的に大きな影響を発揮しました。ちなみに、ハンザとは北ドイツの言葉で「仲間」「群れ」を意味し、1343年に正式に結成された後、17世紀まで続きます。同盟が終わったのは、国家の力の方が強くなったことと、同盟の内部に中央集権的な組織がなかったからです。

○対抗手段のカルマル同盟

 そうって都市が強くなると、国王側も黙ってみているわけにはいきません。デンマーク王国は、ハンザ同盟に対し攻撃を仕掛けますが、逆にやられてしまいました。そこでカルマル同盟が結成されます。これは、1397〜1448年のデンマーク、ノルウェー、スウェーデンによる3王国同君連合。同君連合というのは、同じ人物を、各国の国王として据えることです。というのもこの地域は、ハンザ同盟によって対外貿易のみならず、国内商業、手工業まで彼らの手中ににぎられる有様。しかも、商業同盟に軍事的にも負けるようでは、国家の権威もあったものではありません。

 さらに、この同君連合が成立可能にしたのは、既に1319〜43年にはスウェーデンとノルウェー間で、1380年からはデンマークとノルウェーとの間で同君連合がむすばれ、さらに、デンマークとノルウェーの摂政マルグレーテ1世は、89年にスウェーデンの摂政にえらばれ、ドイツ人でスウェーデン王のアルブレヒトをやぶり、事実上の3王国の支配者なるという事象が存在していたこと。

 こうして1397年、マルグレーテ1世は、さらに同君連合を進めるために、スウェーデンの都市・カルマルで彼女の姉の孫・エリクを3国全ての国王に即位させます。エリクはこの時幼年であり、もちろんマルグレーテ1世が裏で支配をします。

 しかし、「1397〜1448年」という数字を見るように、半世紀でこの同盟は崩壊。その理由として、マルグレーテ1世の死後、 エリクは高税を課すなどして反発を買い、さらに1442年にエリクにかわって同君連合君主となったクリストフェル3世が1448年に死去し、同盟は実質的に崩壊してしまうのです。名目はそれでも続きますが、1523年にはスウェーデンの独立によって、完全に同盟は消えました。

○封建制度の崩壊

 ページの最初で、貨幣経済が崩壊し物々交換で・・・と書きましたが、何時までも物々交換というわけではありません。11世紀ぐらいになってくると、社会が安定し、貨幣が発行されはじめ、貨幣経済へと戻っていきます。そうすると、領主としては税金が貨幣で欲しくなってきました。そこで、農民に「これからは、貨幣で税金を納めてくれたまえ」と命令します。

 そしたら農民はどうするかといえば、もちろん、農作物を市場で売らなければなりません。もちろん、領主に納めた分以上の貨幣の利益は自分の物ですので、ちょっとずつですが、農民も貨幣を貯め始めます。

 更に幸か不幸か。1348年に、黒死病=ペストというヨーロッパに大きく影響を与える伝染病が大流行します。身分を問わず人口が減りますが、特に農民の減少は領主にとって税収対象が減るので問題となります。では、どうするか。外の領地から農民に来てもらうしかありません。来てもらうにはどうするか、といえば、「うちの領内は厳しく働かせないよ」とメッセージを送ることです。一方、逆に農民を奪われるわけにはいきませんから、やはり自分の所の農民の自由を拡大する必要があります。こうして、次第に農民の地位は高まり、自営農民として独立した存在になっていきます。特に、イギリスでめざましく、この独立自営農民をヨーマンと呼ばれます。

 しかし・・・一通り農民を集めることに成功すると、再び領主は搾取と束縛の強化を始めます。領主としても、あまり農民に自由を認めすぎたため、今度は自分が困窮してきたからです。しかし、一度自由な空気を吸ってしまった農民としては、この一線は譲れない。反乱、農民一揆です。有名な例として、フランスのジャクリーの乱、イギリスのワット・タイラーの乱があります。

 ジャクリーとは、フランスで農民を意味する言葉。また、ワット・タイラーの乱の時、これに参加したジョン・ポールが「アダムが耕し、イヴが紡いだとき、誰が貴族であったか」として農民を励ましました。つまり、貴族なんて言っても、大昔は我々と同じだ、と言ったわけです。封建制度の崩壊については、第26回でも見ます。

○騎士もサヨウナラ

 ところで、この時に騎士も没落していきます。国王の力が強まり、また先ほどのように都市と国王が手を結び、都市の自由を認め、所領を没収されていった上に、今まで軍役で奉公し、その代わりに領土をもらったり、保証されていたのですが、火砲の使用などで、「ああ、別に騎士なんていらない」と軍事的な面から不必要とされていったのです。

 この後、騎士は没落しながらも、細々と農民の地代を取り続けるか、王の下で官僚になっていくかの道を歩みます。

○大学の登場

 話は全然違いますが、この時代、つまり12世紀に大学が誕生します。大学もしくは似た機関は、古代ギリシャ、それからイスラム世界、中国にありましたが、西ヨーロッパでは12世紀にフランス王国のパリ大学や、イタリア半島でのボローニャ大学の誕生がはじまりだとされています。 

 注目すべきは、どこの大学もそれぞれ色々な特色があること。大まかに区分をしておくと
 神学、つまりキリスト教の研究・・・パリ大学、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学、プラハ大学
 法律・・・ポローニャ大学、ナポリ大学
 医学・・・サレルノ大学、ナポリ大学 って感じでしょうか。
 もちろん、大学の数はこれだけでなく、スペインも含めたヨーロッパ中で、次々と誕生していきます。

次のページ(十字軍とイスラムと・・・)へ
前のページ(封建社会の成立と教会)へ

↑ PAGE TOP

data/titleeu.gif